第12課 平田 和宣

2017年 第2期  「わたしの羊を飼いなさい」 ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

今週はⅡペトロの手紙第3章、最終章を学びます。その内容は、終わりの時に起こる出来事についての警告です。それは、「あざける者たち」が現れ再臨信仰から、そして主イエス様に従う道から逸れるよう惑わそうとするが、「聖い生活を送り、『不道徳な者たちに唆されて』(Ⅱペトロ3:17)堕落しないように注意しなさい」(ガイド86頁1~2行目)というものでした。ガイドに分かり易く説明されていますので、特に気が付いた点のみを以下に書かせて頂きます。

今週のポイント
 ガイド83頁下の枠内に「あなた自身の信仰体験において、キリストがまだおいでにならないという事実に、あなたはどう対処していますか」とあります。再臨の約束がまだ果たされていないという現実について、どう考えるのか。整理しておきたいと思います。

◆再臨未成就の二つの理由
 聖句に基づいた再臨未成就についての理由は、少なくても二つ考えられます。
一つめは、預言されている前兆がまだ成就していないから、再臨の約束はまだ果たされていない、というものです。「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る」(マタイ24:14)と書かれている通りです。まだ福音が伝えられていない場所がある。だからまだ主は再臨されない。福音宣教拡大のため、更に熱心に祈り続けましょう。
 二つめは、ペトロが「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、…忍耐しておられる」(Ⅱペトロ3:9)と書いているように、人々の回心には時間がかかる、それを神は忍耐して待って下さっているという理由です。まずは己の悔い改めを日々祈り、そして人の救いのために用いられますように。

◆あざける者たちに対して
 あざける者たちから「再臨の約束はどうなったのか!」と悪し様に言われた時、うろたえずにクリスチャンとして堂々と対処するためにはどうしたら良いのかについても考えておきたいです。そんなに簡単なことではないとは思いますが…。
 イエス様について、信仰について知っている、或いは正しいと認めているだけでは、恐らく不充分なのではないでしょうか。信仰について人から悪し様に言われた時、なかなか堂々としていることは難しいです。改心前のペトロがその良い例です。周りを反対者に囲まれた時、主の御傍近くで約三年も学んだ彼でさえ主を裏切る言葉を発してしまいました。
 しかし一方、155年頃火刑により殉教したスミルナの監督ポリュカルポスという人の話が残されています。彼は火刑直前、迫害者から「キリストを呪うなら釈放しよう」と言われましたが、それに対して「私は86年間彼に仕えてきましたが、彼は何一つ私に悪いことはなされませんでした。それなのにどうして、私を救ってくださった王をけがすことができましょう」と答えたとのことです。
 人から信仰を悪し様に言われる時、恐れず堂々としているためには、パウロが言っているように「キリストに捕えられている」(フィリピ3:12)という経験、主と共に歩む平安に浸る経験、主との切っても切れない関係に至る経験が私たちにはどうしても必要です。そのような主との関係を構築するには、今日という日、一日一日を神の御言葉に心の耳を傾け、聖霊による支配を祈り求めつつ歩み、「主を知る」という深みへと導かれることが何よりも大切です。「我々は…主を知ることを追い求めよう」(ホセア6:3)。各時代の真の信仰者達が得たこの経験を私たちも受けていきたい。

ディスカッションのテーマ
 上にあげたガイド83頁下の枠内の内容について、今一度互いに感じることを話し合い、その中で確認すべきことを確認しておくことはとても大切ではないでしょうか。終わりの時に現れるあざける者たちからの誘惑に対処するため、有意義な準備の時となりますように。