第12課 安河内アキラ

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」 ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

暗唱聖句 「このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。」Ⅱペトロ3:11

今週の聖句  Ⅱペトロ3:1~2、ヨハネ21:15~17、Ⅱペトロ3:3~13、詩編90:4、
マタイ24:43~51、Ⅱペトロ3:14~18

今週の研究  すでに触れたように、ペトロは、悪事を働く者たちが神の前で直面する裁きについて警告することを恐れませんでした。なぜなら、そのような裁きがやって来ると、聖書がはっきり述べているからです。ペトロはこのような背景において、時代の終わり、裁き、イエスの再臨、「自然界の諸要素は熱に熔け尽く(す)」(Ⅱペト3:10)時などについて、明瞭に述べています。ペトロは、私たちがみな罪人であることを知っていました。それゆえ、こういう先の見通しの中で、「あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません」(同3:11)と、彼は言います。

月曜日:ペトロは読者に、「聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出して」(Ⅱペト3:2)もらおうとしたあと、具体的な警告に取りかかります。たぶんこの教えがどれほど危険になるかを知っていたので、彼は権威をもって書くことによって警告を印象づけようとしたのでしょう。
 Ⅱペトロ3:3、4 を読んでください。偽りの自由を宣伝する者たちと、キリストの再臨について疑いを表明する者たちとの間には、重要な類似点があります。ペトロは、あざける者たちが、「主が来るという約束は、いったいどうなったのだ」(Ⅱペト3:4)という辛しんらつ辣な質問をするだろうと警告しています。そうすることによって彼らは、イエスがこの地球に間もなく戻って来られるという、クリスチャンの長年にわたる信仰に挑戦するでしょう。結局のところ、彼は特に終末時代について語っているので、これらのあざける者たちは、多くのクリスチャンがすでに死に、世の中のことはいつものように続いているという否定しがたい事実を指摘するでしょう。

水曜日:確かに、独自の図表と預言の計算を使って、キリストの再臨の日を知っていると主張する人々に、私たちは時折遭遇します。しかしほとんどの場合、アドベンチストが直面している危険は、キリストの速やかな再臨の日付を設定することではありません。むしろその危険とは、年月が経つにつれて、再臨の約束が私たちの考えの中でより小さな役割しか果たさなくなることです。
確かに、私たちが地上に長くいればいるほど、私たちは再臨に一層近づきます。その一方で、私たちが地上に長くいればいるほど、私たちは日々の生活に影響を及ぼさないほど遠くに主の来臨を思い描きやすくなります。聖書はこの種の気の緩みを警告しています。ペトロが言うように、も しイエスが再臨され、私たちが裁きを受けるのであれば、クリスチャンは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。(Ⅱペト3:11)再臨の真実性は、それがいつ起ころうと、私たちの現在の生き方に影響を及ぼすべきです。

木曜日:ペトロは、最初からずっと述べてきた主題で彼の書簡を終えています。聖い生活を送り、「不道徳な者たちに唆そそのかされて」(Ⅱペト3:17)堕落しないように注意しなさいという主題です。
Ⅱペトロ3:14 ~ 18 を読んでください。ペトロが「愛する兄弟パウロ」(Ⅱペト3:15)の書き送ったものへの訴えで彼の書簡を終えているのは、実に興味深いところです。パウロもまた、イエスの再臨を待ちながら平和に暮らすこと、また聖い生活を深めるためにその時間を用いることの必要性について書きました。(ロマ2:4、12:18、フィリ2:12 参照)
また、パウロが書き送ったものへのペトロの言及の仕方から、キリスト教史の初期において、それらが高く評価されていたことがわかる点にも注目してください。ペトロが、現在の新約聖書の中にあるパウロの手紙のすべてを指しているのか、それとも一部だけを指しているのかは、判断できません。それにもかかわらず、ペトロの言葉は、パウロの手紙が高く評価されていたことを示しています。

 ペトロの手紙の学びもあと二回になりました。そしてもうすぐ夏至になります。月の早さを感じますね。
 ペトロは手紙の中で、時が近いこと、そして裁きがなされること、聖い行いをするようにと勧めています。ではなぜ聖い行いをする必要があるのでしょうか。裁かれないため、天国に入れていただくためでしょうか。けれども聖書は、聖い行いを積み重ねることが、わたしたちが義とされるのは信仰によると明確に書かれています。(ローマ3:28参照)
 では、なぜ聖い生活をするように勧められているのでしょうか。まずわたしたちの幸せのためにです。聖い正しい歩むを続けることは、幸せな人生を歩むことができるのです。 十戒は、わたしたちが幸せに生きる道を示しているのです。
 次に、まわりの人の幸せのためです。神さまはわたしたちがまわりの人を助けるためにできることをするように勧めています。わたしたちが聖い生き方をすることによって、まわりの人々への恵みの通路となることを神さまは願っていらっしゃいます。
 最後に、神さまを証しすることです。神さまは人を祝福することのよって、恵みを証ししようとされています。わたしたちの聖い行いが、神さまの素晴らしさをこの世において証しするのです。
そして忘れてはならないのは、100歩譲って再臨の日時を預言の中の研究から見つけることができたとしても、わたしたちがその日まで生きている保証はありま せん。その意味でも、再臨はいつ来るのかわからないのです。再臨が目標をなるのではなく、日ごとの歩みの結果として人生の終わりを迎えて、神さまのもとで休みに入る、この生き方こそが再臨を待つ歩みではないでしょうか。(ダニエル12:13参照)