第2課 安河内アキラ

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」 ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

第2課 朽ちない財産

今週の聖句  Ⅰペトロ1:1、2、ヨハネ3:16、エゼキエル33:11、Ⅰペトロ1:3~21、レビ記11:44、45、Ⅰペトロ1:22~25

今週の研究  私たちがペトロの手紙を読むとき、その手紙の歴史的背景をできるだけたくさん知るのは、良いことでしょう。「彼は何と書いているのか」「それはなぜなのか」。そして言うまでもなく、何よりまず、「(聖霊の導きのもと、その手紙が人々に書かれたように)私たちはそこからどんなメッセージを引き出すことができますか」……。
 そして、これからすぐ見ていくように、ペトロは最初の数節の中にも、執筆当時から何世紀も離れた私たちに示すために重要な真理をたくさん込めています。

月曜日:すべての人が救われることは、神の御計画、地球が造られる前に立てられた計画であると、聖書ははっきり述べています。「天地創造の前に、神はわたしたちを……お選びになりました」(エフェ1:4)。すべての人が救われ、だれも滅びないことが神の本来の目的であったという意味において、「皆」が「選ばれ(る)」のです。神は人類すべてに永遠の命を前もって定められました。これは、たとえ、すべての人がその贖いの提供するものを受け取るわけではないとしても、だれもが贖われるために、救いの計画が十分であったことを意味します。
 選びに関する神の予知とは、彼らの自由選択が救いに関してどうなるかを、神が単純に前もって知っておられるということです。この予知は、彼らの選択をまったく左右しません。自分の子どもがインゲン豆よりチョコレートケーキを選ぶだろうことを母親が前もって知っているからといって、彼女の予知が子どもの選択を左右したことにはなりません。それと同じです。

火曜日:ペトロの手紙Ⅰを読んでいる多くの人が苦しんでいるという事実にもかかわらず、クリスチャンが喜ぶ理由はこの希望にあります。苦しみは、火が金を溶かし、精錬するように、彼らの信仰を試し、精錬します。ペトロの書簡の読者は、イエスが地上で働かれたときに会ったことはありませんでしたが、それでも彼を愛し、信じています。そして、イエスに対する彼らの信仰の結果が、救いと、「あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産」(Ⅰペト1:4)という約束です。
 ペトロはまた、昔の預言者たちが「あなたがたに与えられる恵み」(Ⅰペト1:10)を預言したことを彼らに知らせています。旧約聖書の預言者たちは、この人たちが今イエスにあって体験している救いについて「探求し、注意深く調べました」(同)。彼らが信仰に対する迫害によって苦しむとき、彼らは、ずっと広範囲に及ぶ善と悪の戦いの一部なのだと、ペトロは指摘します。結局のところペトロは、彼らが試練のさなかにあっても信仰に忠実であるよう、助けようとしています。

水曜日:クリスチャンの行動を動機づける最初のものは、神の御品性です。この御品性は、「神は聖なる方」という言葉で要約できるでしょう。ペトロはレビ記11:44、45から引用して、「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」(Ⅰペト1:16)と記しています。それゆえ、イエスに従う者たちも聖なる者である必要があります(同15~17節)。
 クリスチャンの行動の第二の動機は、聖なる方である神が、すべての人を公平に、各自の行いに従って裁かれるという認識の中にあります(Ⅰペト1:17)。
 第三の動機は、クリスチャンが贖われているという大いなる真理から生じます。これは、彼らが代償によって、しかも非常に大きな代償―キリストの尊い血(Ⅰペト1:19)―によって買い取られたということです。ペトロは、イエスの死が歴史上の偶然ではなく、天地創造の前から定められていたものであったと強調しています。

 キリスト教会において、神さまが救いの計画をたてておられることについて、いろいろな考えがあることはみなさまもご存じだと思います。一部の教会では神さまが救われる人を事前にお決めになっているという予定説を教えています。救われる人が決まっているとしたら、伝道しても意味がありませんね。けれどもイエスさまは全世界で出て行って宣教するように命令されているのです。
 神さまの選びと予知について、これがどのような関係にあるのでしょう。あくまでも救われるためには、先期も学びましたが、わたしたちがキリストを救い主として受け入れる時に、そして聖霊の導きに従って歩む人々を救ってくださるのです。そのために神さまはわたしたちを選び、多くの人が救われるために用いてくださっているのです。
 では神さまの予知とはどのようなことでしょう。わたしが良く用いるたとえは、心が踊らされる本があったとしましょう。この結末はどうなってしまっているのか不安でなりませんが、もう寝なければなりません。そんな時に、最後のページを少しだけ見て、ハッピーエンドだったらホッとして、このように物語の結末をわたしがどうこうすることはできませんが、途中を飛び越して結末を知ることはできるのです。神さまはこのように誰が救われるか知ろうとすれば知ることがおできになるのです。
 はっきりしていることは、神さまは愛の神さまです。きっとわたしたちがみことばから理解していることはほんの一部です。だからこそ最善の方法を用いてわたしたちを救いに導いてくださることを信じています。そして天国で、神さまの働きに讃美をする日がやってくることでしょう。