第4課 安河内アキラ

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」 ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

第4課    社会的関係     4月22日
暗唱聖句 「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです」                             Ⅰペトロ 4:8

今週の聖句 Ⅰペトロ2:13 ~ 23、Ⅰペトロ3:1~ 7、Ⅰコリント7:12 ~ 16、ガラテヤ3:27、28、使徒言行録5:27 ~ 32、レビ記19:18

今週の研究   ペトロの手紙は、当時の難しい社会問題のいくつかにも真正面から取り組んでいます。例えば、クリスチャンは抑圧的で腐敗した政府と―彼らのほとんどが当時体験していた異教のローマ帝国のような政府と―いかに共存すべきか、といった問題です。ペトロは読者に何と言っていますか。彼の言葉は、今日の私たちにとってどういう意味があるでしょうか。

日曜日:ペトロは、皇帝や総督たちが悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめると論じています(Ⅰペト2:14)。そうすることで、彼らは社会を形作るうえで重要な役割を果たします。
 実際、数々の欠点にもかかわらず、ローマ帝国は安定をもたらしました。戦争をなくしました。過酷な正義ながらも、法の支配に基づく正義を広めました。道路を建設し、軍事上の必要を支えるための通貨制度を確立しました。そうすることによってローマは、人口が増え、たいていの場合繁栄できるような環境を生み出しました。このような観点から見れば、政府に関するペトロの言葉も合点がいきます。完璧な政府などありませんし、ペトロや、彼が手紙を書き送った先の教会を治めてい る政府も完璧ではありません。それゆえ、私たちがペトロから学べることは、クリスチャンは、たとえ彼らがそのもとで暮らしている政府が完璧には程遠いにしても、可能な限り国法に従いながら、善良な市民であろうとする必要があるということです。

月曜日:初期のクリスチャンの多くが奴隷であったということを覚えておくことは重要です。そういうわけで彼らは、自分たちが変えることのできない制度の中に組み込まれていることを知っていました。不幸にも厳しくて理不尽な主人を持つ者たちは、とりわけ困難な状況の中にあり、よりよい主人を持つ者たちでさえ、苦しい状況に直面することがありました。奴隷であったすべてのクリスチャンに向けたペトロの指示は、新約聖書のほかの言葉と一致しています。キリストが服従し、耐えられたように、奴隷たちも服従し、耐えなければなりません(Ⅰペト2:18 ~ 20)。罪を犯して、その罰を苦しんでも、何ら誉れはありません。キリストの本当の精神は、不当にも苦しんでいるときにあらわされます。イエスと同様、そのようなときにクリスチャンは仕返しをしたり、脅したりせず、公正に裁かれる神に身をゆだねます(同1:23)。

水曜日:つまりパウロは、法律によって定められた文化的境界の中で働こうとしていました。彼は、自分たちの文化に関して変えられることと変えられないことを理解していました。しかし、彼はまた、人間に対する社会の考え方を最終的に変えるものもキリスト教の中に見ていました。キリストが社会秩序を変えるためにいかなる種類の政治的改革も引き起こそうとなさらなかったように、ペトロも、パウロも、そうしようとはしませんでした。そうではなく、変化は敬虔な人々の影響力を社会に少しずつ与えることによって起こるのです。

 ペトロの時代も、現代の社会においても様々な社会の規範の中で生きて行きす。特に社会福祉の働きをしていると、制度によって働きの枠組みが決められていること、その制度が最善ではなくても、その中で働かさるを得ないことも痛感させられます。
 けれども法や制度を活かすも殺すも、その法の下で働くわたしたちが、いかに生きるかではないでしょうか。そのために大切なのが今週の暗唱聖句「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです」ではないでしょうか。求められている標準の最低限の働きで終えることもできます。けれどもその中で最善を尽くして行く、このような生き方を通して、人々にあかしをすることができます。こ れはキリストが「地の塩」になれと命じておられることと同じではないでしょうか。
 罪の世界で生きている以上、わたしたちの社会には、何かしらの問題や矛盾などがあります。けれどもそれについて文句を言っているだけで何もしないのではなく、その中であっても最善の道を模索して前進をすること、このような生き方を求められているのではないでしょうか。