第4課 聴覚しょうがい者用:柳 鍾鉉

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」—ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

第4課  社会的関係           

1.今週のテーマ
 2000年前の1世紀を生きていた使徒ペテロの時代においても21世紀の現代社会が抱えている社会的な問題をたくさん持っていたことを知ることができます。そのような状況の中でペテロは主にあるクリスチャンとしてそのような社会問題とどのように関わって行けば良いかを信仰をもって勧めています。今週は教会と国家の問題、主人と奴隷の問題、妻と夫の問題、社会的関係、そしてキリスト教と社会秩序の問題についてペテロの手紙から学びます。信仰を持っているクリスチャンという立場からこの問題にどのように関わるべきかについての学びとなりますが、どれも軽く考えることのできない重大で重たい問題だと思います。この学びを通して少しでも私たちが蛇のように賢く鳩のように素直な心を持ち、世俗的な社会に神の愛と香りを放つことができるようになることを祈ります。

2.「教会と国家」(日)
 ペテロが生きていた時代は自分たちの国がローマ帝国によって支配され、植民地として扱われていた暗鬱な時代でした。神に選ばれて選民意識が強かったユダヤ人にとって神を知らない異邦人たちに自分たちの国が踏みにじまれていくことは堪え難い屈辱だったに違いありません。それで中にはローマ帝国に対して強い反感を持って過激な行動を取る人々もいたでしょう。そのようにした彼らは愛国心に燃えて、ローマ帝国に対して悪い感情や戦いの姿勢を取ることが神の御心だと思ったかも知れません。ところが、キリストの弟子であったペテロは1ペテロ2:14で「帝国内において人間が立てたすべての制度の権威を、皇帝から総督に至るまで認めなさい」と勧めています。ペテロのこの勧めはその当時のユダヤ人クリスチャンにとっても受け入れ難い教えだったかも知れませんが、ペテロがそのような勧めができたのは、彼の内に主イエス・キリストがおられたからです。どの国も完璧ではありませんが、教会は神から許された権威を持っている国家に対して善良な組織として信仰の良心が許される範囲内で国家が定めた法律を尊重し従う必要があります。

3.主人と奴隷(月)
 1ペテロ2:18で「召し使い」とか「僕」と訳されているギリシア語オイケテースは家事をする奴隷に用いられる言葉ですが、一般的に使われる奴隷の言葉はドゥーロスという言葉です。ローマ帝国の支配下に置かれたユダヤ人たちの多くの人が奴隷でした。奴隷には自由意志が許されていません。人格を持っている者よりも人格を持っていない物の扱いを受けました。その当時、奴隷はお金で買うことも売ることも出来たことから、普通に人身売買が行なわれていたのです。奴隷の生活は悲惨で惨めで全く自分の意志を持っていません。生きるのも死ぬのも食べるのも飲むのも主人が決めるのです。奴隷に要求されるただ一つは主人に対する完全な服従と屈服です。良い主人に出会った奴隷は良いが、理不尽な主人を持つ奴隷は困難な状況をずっと耐えて行かなければ行きません。そのような状況の中で、奴隷が逃亡したり、主人を殺したりする多くの社会問題が発生し、一気に社会が乱れてしまいました。その中、ペテロは奴隷は主人に服従することを強調すると同時にキリストと私たちの関係を主人と奴隷の関係と考えて、主人であるキリストに服従する忠実な奴隷になることを勧めていたのです。キリストも私たちを罪から救うために死に至るまで、十字架にご自分の体を貼付けになるために従順でした。

4.妻と夫(火)5.社会的関係(水)
クリスチャンである妻がクリスチャンでない夫と結婚生活を送る時に、多くの難しい問題にぶつかります。そのような状況の中で、彼女は夫と離婚することではなく信者として模範的な生活を示し、また信仰と従順さをもって夫に仕えることによって夫がキリストへ導かれるようにと勧めています。『自分のいる状況において称賛に値する一連の基準を持つように』(1ペテロ3:2)。しかし、それには強い信仰と忍耐深さが必要です。聖書が信仰を持っていない相手との結婚を勧めていないこともこれらの理由からですが、神は同じく信仰を持った夫婦が互いに支え合い、励まし合って神を礼拝しながら誠実に生きることを願っています。
教会には信者でない夫を持っているクリスチャンである妻たちが多くいます。彼女たちの祈りは夫を教会へ、キリストへ導くことです。教会で信者では夫を持つクリスチャンである妻たちの小グループが自然発生的に生まれ、その輪で互いに語り合い、祈り合う姿を見た時には大きな感動がありました。パウロはエペソの手紙5:22からの言葉の中で、夫の役割と妻の役割について語りました。夫は妻を愛し、妻は夫に仕えなさいとのことですが、パウロはキリストと教会の関係を挙げていたのです。

6.キリスト教と社会秩序
パウロもローマ書13章で教会が社会とどのように関わるべきかについて勧めていますし、ペテロも人間の組織や政府が不完全であったとしてもその権威に従うことを勧めています。キリストもローマ帝国に対して反乱を主導されませんでしたし、ローマ帝国の法律を公に破るようなことはしませんでした。私たちは出来る限り善良な市民としての義務を果たす必要があります。しかし、国が私たちを神から離れさせる働きをしたり、キリストに対する信仰を捨てるように強要するような場合は、御言葉に堅く立って人間の権威ではなく神の権威に従わなければなりません。私たちはキリストが模範として示してくれたように、社会を乱していくものではなく全ての人の平和を告げるものにならなければなりません。

7.さらなる研究
アドベンチストとして生きるとは、第七日目である安息日を守り、間もなく来られるキリストに対する再臨信仰を持ちながら生きることです。ありとあらゆる立場で私たちは善良な市民として生きて行きますが、明らかに人間の律法と神の律法が対立する時は、キリストの僕として生きることを選択しなければなりません。
「人間の律法が神の言葉や律法と対立するとき、たとえどんな結果になろうとも、わたしたちは後者に従うべきです。」(教会への証)第1巻分冊① 211頁