第6課 安河内アキラ

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」 ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

第6課  キリストのために苦しむ    5月6日          安河内アキラ

今週の聖句  Ⅰペトロ1:6、3:13 ~ 22、Ⅱテモテ3:12、Ⅰペトロ4:12 ~ 14、黙示録12:17、Ⅰペトロ4:17 ~ 19

今週の研究  短いこの書簡の中に、読者が受けているキリストのための苦しみを扱っている箇所が、さらに三箇所もあります。(Ⅰペト2:18 ~ 25、3:13 ~ 21、4:12 ~19)それゆえ、どう考えてみても、迫害によって生じた苦しみがペトロの手紙Ⅰの大きな主題ですので、私たちはこの主題に目を向けることにします。

月曜日:クリスチャンは、自分たちを非難させるような理由をほかの人に与えないようにしなければならないと、ペトロは主張します。クリスチャンは後ろめたいところがないように良心を保たなければなりません。(Ⅰペトロ3:16)これは重要なことです。なぜなら、そうすれば、クリスチャンを非難している者たちが、非難されているクリスチャンたちの非のない生き方によって、恥をかかせられるからです。次に、ペトロはイエスの実例を挙げます。キリストは御自分の義のために苦しまれました。彼の聖純潔な生き方が、彼を憎む者たちにとって絶え間ない非難だったからです。悪いことではなく、正しいことをして苦しんだ人がだれかいるとしたら、それはイエスでした。しかし、イエスの苦しみはまた、救いの唯一の手段をもたらしました。彼が罪人の代わりに(「正しい方が、正しくない者たちのために」〔Ⅰペト3:18〕)死んだので、彼を信じる者たちは、永遠の命を得る見込みがあります。

火曜日:火はぴったりの比喩でした。火は破壊もたらしますが、不純物を一掃することもできます。何が火で燃やされるかによります。家は火によって破壊され、銀や金は火によって精錬されます。人は意図的に迫害を招くべきではありませんが、神は迫害の中から良いものを引き出すことがおできになります。それゆえ、パウロは読者(や私たち)に、「確かに、迫害は悪いものだが、あたかも予期せぬものであるかのように、それによって失望してはならない。信仰によって前進しなさい」と語っています。

木曜日:次の聖句は、苦しみの起源に関する疑問に答えるうえで、助けとなります。(Ⅰペト5:8、黙12:9、2:10)簡単に言ってしまえば、私たちが苦しむのは、キリストとサタンの大争闘の中に私たちがいるからです。これは、私たちの性質における善と悪の単なる比喩や象徴ではありせん。本物のサタンと本物のイエスが、人類のために本物の戦いを行っているのです。Ⅰペトロ4:19 を読んでください。私たちが苦しむとき、とりわけ、その苦しみが私たちの悪行の直接的な結果として生じたものでないとき、私たちは、ヨブが何度も問いかけた「なぜ」という疑問を自然に問いかけてしまいます。そして、たいていの場合がそうであるように、私たちには答えがありません。ペトロが言うように、苦しみの中においてさえ、私たちにできることは、神に魂をゆだね、私たちの「真実であられる創造主」(Ⅰペト4:19)を信頼し、「善い行いをし続ける」(同)ことだけです。

聖書は、罪の結果苦しむだけでなく、残念ながら正しい人でも苦しむことがあるとはっきりと述べています。突然の災害や事故などに巻き込まれて命を失う方もいるでしょう。そのような人は、自らのまちがいや先祖の罪の結果、死を迎えたという考えもあります。百歩譲って、自らの罪の結果だとしたら、納得できないわけではありませんが、先祖の罪を背負わされても、今さらどうしようもありません。
 この問題の解決は、木曜日の引用文にありますが、目には見えない世界での戦いがあるということを忘れてはいけません。人を苦しめて神さまを信じないようにする悪の力があります。この悪の力のことを無視しては答えを見つけることができません。
 そしてこの悪の力に口実を与えないように、月曜日の学びにあるように、わたしたちはできるだけ正しい道を歩むようにしなければなりませんね。
 何よりも、わたしたちは現在しか見ることができないという事実も忘れてはなりません。永遠から永遠までご覧になる神さまが最善の道を用意してくださり、苦しみを通して必ずわたしたちを導いてくださることを忘れないで前進していきましょう。