第9課 聴覚しょうがい者用:武田 将弥

2017年 第2期 「わたしの羊を飼いなさい」—ペトロの手紙Ⅰ・Ⅱ

第9課:あるべき姿になりなさい

1・『今週のテーマ』『尊い信仰(日)』
 聖書を読んだことのある方は既にお気付きかと思いますが、聖書の不思議な点は、大昔に書かれた書物であるのにも関わらず、全然古臭さを感じさせないところです。しかしこれが世の中に溢れている小説やマンガ等では同じようにはなりません。どんなに楽しく、大ヒットした作品であっても、いつかは必ず飽きてしまいます。でも聖書は飽きるどころか、むしろ読む度に新しい発見や気付きが与えられるから驚きです。しかも短くてシンプルな文章なのに、意味がとても深く、全てを理解することは一生かけても出来ないのです。聖書がいつまで経っても新鮮に感じることの出来る理由は、書かれている内容が「永遠の真理」だからです。小説やマンガは人間が書いたものですが、聖書のみ言葉は神様が与えてくれたものですから、国や時代を問わず、読んだ者に希望や安心をいつまでも与えてくれるのです。
 私たちは神様を信じて愛しなさいと教えられていますが、それには神様のことを深く知る必要があります。そのためにはイエス様や聖書の研究をしたり、世界の不思議や素晴らしさを通して神様の偉大さを感じたり、信仰的な生活を送って神様の証を体験したりすることで、少しずつ神様のことを知れるようになれます。さらに感謝なのは神様への理解が深まり、主と自分の関係が深まってくると、自分の内側にある品性が聖なるものへと変化していきます。そしてこの世の悪や欲望から離れたいと考えるようになり、成長を祈り求めれば、少しずつ離れていけるように神様が導いてくださるのです。

2・『愛-クリスチャンの徳の目標(月)』『あるべき姿になりなさい(火)』
 Ⅱペテロ1:5~7には神様が与えてくださる「徳」についての様々な説明がされています。最終的には「愛」で締めくくられていますが、やはり一番重要なのは愛なのです。ペテロが説明している徳について考えてみましょう。

「信仰」イエス様への信仰のことです。
「徳」神様から与えられる、あらゆる徳(タラント・品性)です。
「知識」聖書(神様の与えてくださる救い)の正しい理解のことです。
「自制」自分の感情や衝動を抑える、律する力が備わってきます。
「忍耐」試練や迫害を耐え抜く力のことなどです。
「信心」信心と訳されていますが神を信じる信心深い道徳的な生き方の事をいいます。
「兄弟愛」品性が成熟してくると、他者を親切にする心が強くなってきます。
「愛」最終的にはキリストの愛に到達するのです。

クリスチャンとしての品性が清められて成熟するためには、祈り求めるだけでは足りません。自分の成長を邪魔するような問題点から離れる努力も必要なのです。救いや清めは神様が与えてくださるもので、主の助けなしでは人間は何も出来ない無力な存在ですが、神様に協力する姿勢と努力は必要なのです。悔い改めを心の底から感じて、変わりたいと思ったのならば、自然と行動にあらわれてくるものです。クリスチャンはこの神様が品性を変えてくださるという仕組みを理解し、体験する必要があります。
人は神様に創っていただいた時、神様の品性を強く表している存在でした。しかし罪が入り込んでしまってからは、本来の素晴らしい姿は失われてしまったのです。我々と神様が目指しているのは、人間があるべき姿に戻る(回復)ことなのです。私たちはキリストの姿を取り戻すように、新しく神様によってつくりなおしていただかなくてはなりません。キリストの姿に変化していくということは、クリスチャンとして成熟していくということです。

3・『仮の宿を脱ぎ捨てる(水)』
 聖書は死と復活について、死んだ者はしばしの眠りにつき、復活の時に再び甦るという説明をしています。神の子であるイエス・キリストが、人間となってこの地上へ罪を贖うために誕生してくださいました。その主が私たちの代わりに十字架にかかって罪の身代わりになってくださり、そして復活しました。ここに救いの希望が隠あります。我々人間の模範・代表として、罪に打ち勝って復活したイエス様を信じるということは、信じる者たちも同じように主に続くことがゆるされるということです。そして復活の時に新しく与えられる体は、今の私達が持っているような不完全な体ではなく、死なない体をいただきます。残念ながら私達は死を経験するかもしれませんが、キリストを信じる者達は死を恐れなくてもよいのです。何故ならば主が永遠の命へと導いてくださることを信じているからです。今の地上における生活は大事ですが、聖書によると、この世界での人生は短く、まるで旅の途中のようなものであり、本当の目指すべき場所、住むべき場所は地上ではなく、天にある神の国なのだと教えています。ですからこの地上に執着することよりも、むしろ来るべき世界に備えることが大切なのです。

4・『死に臨んでの信仰(木)』『さらなる研究(金)』
 Ⅱペテロ1:12~15によると、ペテロは間もなく自分が死ぬことを予期していました。ペテロは自分の体を「仮の宿」にたとえてそれを説明しています。しかし彼の言葉からは死に対しての恐れや悲しみ、不安や恨みなど、暗くなったり落ち込んだりしているような様子はありません。それどころか自分よりも、残される仲間たちの事を心配しています。ペテロは様々な人生経験と主の恵みによって、ついに自分よりも他の人を優先するキリストの愛に到達したのです。
 神様の存在は光そのものです。主には不安や怖れなどの暗さは無く、明るい希望や喜びで満ち溢れています。ですから心の中にキリストが満たされるということは、前向きで明るく、自分よりも他者を優先するようになるのです。クリスチャンは死に至るまで神様に対して従順であれと聖書は教えていますが、これは簡単なようで難しいかもしれません。しかしペテロの様に心がキリストで満たされた時、それが可能になります。逆にキリストが心の内に宿っていなければ、どんなに努力しても心の底から神様の言葉に喜んで従うのは無理なのです。
 ペテロは最期に死刑にされますが、自分は主と同じ死に方をする資格は無いと考えて、自ら逆さ十字架にされることを希望します。それにも関わらず、彼の心の中は最後までイエス様のことと、仲間への愛で一杯だったのでした。