第1課 安河内アキラ

2017年 第3期 ガラテヤの信徒への手紙における福音

第1課         パウロ異邦人のための使徒         7月1日

暗唱聖句 「この言葉を聞いて人々は静まり、『それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ』と言って、神を賛美した」使徒言行録11:18

今週の聖句  使徒言行録6:9~15、9:1~9、サムエル記上16:7、マタイ7:1、
使徒言行録11:19~21、15:1~5

今週の研究  
しかし神は、サウロに対してまったく異なる計画、彼自身が予想だにできなかった計画を持っておられました。このユダヤ人は、単にメシアとしてイエスを宣べ伝えるだけでなく、異邦人の間で宣べ伝えることになるのでした!

序 言:ガラテヤ書のどういうところが、この書を宗教改革の背骨にしたのでしょうか。なぜこの書は、ルターをはじめ、多くの人の心を打ってきたのでしょうか。ガラテヤ書は聖書の中のほかの書とは異なる形で、クリスチャンの魂にとって重要な多くの主題を扱っています。パウロが、自由、救いにおける律法の役 割、キリストにおける私たちの状態、霊に導かれた生活の性質、さらには、「聖であり、正しい神の前で、罪深い人間がいかに義とされうるのか」という昔ながらの問題に取り組んでいるのは、ガリラヤ書の中においてなのです。ルターが歩み始めて、決して後戻りしなかった道で彼に拍車をかけたのは、おそらくほかのどんな問題よりもこの問題でした。

月曜日:サウロの回心に関する三つの記述を読んでください。(使徒9:1~18、22:6~21、26:12~ 19)人間的観点からすれば、サウロの回心は不可能に思えたに違いありません。(それゆえ、多くの人が初めてそれを耳にしたとき、疑いの気持ちを表明しました)
サウロが受けるに値したのは罰だけでしたが、神はこの熱心なユダヤ人に、罰の代わりに恵みをお与えになりました。しかし、サウロの回心が偶然に起きたものでもなければ、強制されたものでもないことは、注目すべき重要な点です。
サウロは無神論者ではありませんでした。彼は神を非常に誤解していましたが、信心深い人でした。イエスがパウロに語られた言葉―「とげの付いた棒をけると、ひどい目に遭う」(使徒26:14)―は、聖霊がサウロをすでに責めていたことを示しています。古代世界において「とげの付いた棒」とは、牛 が耕作を嫌がるときにつつくために使われる、とがった鋭い物の付いた棒のことでした。しばらくの間、サウロは神のつつき(促し)に抗ってきましたが、最終的にダマスコヘの途上で復活されたイエスと奇跡的に出会い、もはや戦わないことを選んだのです。

火曜日:使徒言行録9:10~14 を読み、アナニアの心の中を想像してみてください。迫害者だったサウロが、イエスの信者であるばかりか、異邦人の世界に福音を伝えるために神が選ばれた使徒パウロでもあるというのです(使徒26:16~18 参照)。
アナニアが少なからず当惑したのも、無理はありません。エルサレム教会がパウロを受け入れることに、彼の回心後ほぼ3 年間ためらったのであれば(使徒9:26~30)、この出来事のわずか数日後に、ダマスコの信者たちの心をどんな疑問や不安が満たしたのかは、想像に難しくありません!
アナニアが、タルソスのサウロに関する驚くべき知らせを告げる幻を、主によって見せられたことにも注目してください。幻以外の方法では、サウロについて語られたこと―ユダヤ人信者の敵だった人が、今や信者の1人になったということ―が本当であるとアナニアは確信できなかったかもしれません。

木曜日:第一に、異邦人信者が初代教会に入ることを、すべての人が喜んだわけではありませんでした。意見の違いは、異邦人伝道を巡ってではなく、異邦人が入会を認められる条件を巡ってでした。クリスチャンの条件として、イエスに対する信仰だけでは不十分だと感じている人たちがいました。信仰は、割礼とモーセの律法に従うことによって補足しなければならないと、彼らは主張しました。異邦人は真のクリスチャンになるために割礼を受ける必要があると、彼らは主張しました。(使徒10:1~11:18の中に、ペトロがコルネリウスに出会った体験とその後の反動を通して、ユダヤ人と異邦人の間の分裂の程度を見ることができます)

 今年の10月31日は、マルチンルターが宗教改革を開始した記念日です。そして今年は500年目にあたります。ルターはローマとガラテヤ、両書に深く影響を受けて宗教改革に至りました。そのために今期はガラテヤ人への手紙、来期はローマ人への手紙を学びます。
 今週は、そのパウロが迫害者から伝道者へ変えられた、彼の歩みについて学びます。彼がダマスコ途上で復活した主に出会い劇的な改心をしました。けれども、それをまわりの方々が急に受け入れることは難しかったでしょうね。このあたりは火曜日の引用文をお読みください。
 神さまは、パウロに彼にしかできない働きを示されました。しかしそれに応えるか否かは彼が決めねばなりませんでした。そしてパウロは今までの主張を180度変えるわけですから、それでも彼は伝えられた光に従うことを選んだのでした。
当時の教会は、ユダヤの地方の宗教から、世界の宗教へと脱皮する時でした。そこにおいていろいろな考えがありました。キリスト教は、それぞれの立場で神さまに従う宗教です。当時にクリスチャンが、それぞれが受けた光の中で懸命に神さまに従っていたのです。けれども、その中でいろいろなまちがった教えもありました。それは今日でも変わらないのではないでしょうか。今期は、ガラテヤの教えの中から語られる言葉を聴いて、あなたの歩みに活かしてください。