第11課 聴覚しょうがい者用:羅 明勲

2017年 第3期  ガラテヤの信徒への手紙における福音

第11課  キリストによる自由

今週の聖書研究ガイドでは自由について学びます。パウロがガラテヤの教会の人たちに「自由」を守ることの重要性を強調していることは、律法主義と放縦から「自由」を守りたかったからです。事実、聖書的「自由」を正しく理解することはクリスチャンの生活において勝利が与えられるためにとても大切です。

日曜日
キリストの地上における生涯の目的は私たちに「自由を得させるため」(ガラテヤ5:1)でした。キリストがその命までささげて与えようとしている「自由」を大切にすべきではないかとパウロは強調しているのです。この聖書的「自由」について月曜日のところで説明しています。

月曜日
それではクリスチャンの自由とは何でしょうか。まずキリストによって与えられたこの自由が何からの自由なのかを理解する必要があります。「自由」という言葉からわかるように自由とは「自らに由る」ことです。自由の本質は選択の自由、いわゆる「自由意志」です。この選択の自由によって人は神様を愛することができたのです。この自由が神様と人との関係を愛の関係としてくれたわけです。しかし、罪はこの自由を奪ってしまいました。人はこの自由を誤用し、自分を愛そうと選んだのです。この誤った選択によって神様他の関係は破られ、罪人になり、自分を愛することしか知らない「自由」を奪われたものになってしまったのです。
キリストが十字架の死によって可能にしてくださったのは、神様の愛をその犠牲を通して示し、もう一度神様を愛することを選ぶことです。自分を愛することしか知らない罪人を聖霊を通して助け、導き、罪人が神の愛に感動し、それを受け入れ、神様との愛の関係を望みさえすれば神様と人を愛することができるように約束してくださったのです。
「パウロは、どういう意味で自由という言葉を使っているのでしょうか。…それは、イエス・キリストとの関係に根ざした自由です」。(聖書研究ガイド76p.)

火曜日
私たちはキリストとの関係によって既に自由を得ているわけですから、良い行いで神様の行為を得て救われようとする全ての試みは「律法主義」です。それは、キリストがしてくださったこと、キリストとの関係を否定することです。

水曜日
私たちクリスチャンに与えられている自由はキリストとの関係に根ざしたものです。この関係を無視して、自由を誤解してしまうことがあります。しかし、聖書研究ガイド78ページにサム・K・ウィリアムズの『ガラテヤ書』の引用文のように、クリスチャンの自由は「妨げなく隣人を愛する機会、相互の自己犠牲に基づく人間社会を生み出す可能性」なのです。
クリスチャンの自由は放縦ではなく、自分で選んだ関係への結びつきです。

木曜日
聖書は律法を守ることによって救われようとする努力は反対しますが、信仰によって救われた人が神様との関係を喜び、その関係に忠実であるための律法の遵守には賛成しています。