第12課 脇屋 靖治 

2017年 第3期 「ガラテヤの信徒への手紙における福音」 

第12課  聖霊によって生きる
 
 今週のテキストは、ガラテヤ書5章16節から25節です。著者パウロは、キリスト者の信仰の歩みにおいて経験している実践的なアドバイスを記します。
 
日曜日
 ガラテヤ書5章16節「霊の導きに従って歩みなさい。」は、キリスト者として「生きる」ことを意味しています。イエスの救いの恵み、清め、癒しを日々受けつつ、喜びと感謝のうちにイエスに「従う」ことを意味します。この「歩み」は、聖霊の神の働きによって成り立つものです。しかも律法への服従を否定するものではありません。

月曜日
 ガラテヤ書5章7節「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。」(参照ローマ書7章14節〜24節)キリスト者として生きるとき、生まれながらの肉の欲する望みと、神とキリストの教えるところ、つまり霊の望むところの葛藤が生じるという極めて現実的なことを記しています。テキストは、いつの時代にも行き過ぎた信仰理解があることを記しています。しかしパウロは「この戦いは、再臨の時に新しい体を手に入れるまで、さまざまな形で続くのです。」キリスト者に求められることは、「私たちの罪深い自己に対抗して聖霊の側につくことを日々決心することです。」と記しています。

火曜日
 ガラテヤ書5章18節〜25節は、「悪徳のリスト」と「美徳のリスト」の学びです。テキストでは、ざっくりと二つの特徴について注目しています。一つ目は、ジェームズ・ダンが指摘するように、「肉の業」のリストは自己中心的な放縦の方向を示し、「霊の結ぶ実」は他者への配慮を行わせることであり、後者は聖霊の神の働きによって可能になることです。二つ目は、「肉の業」は複数で書かれ、「霊の結ぶ実」は単数で書かれていることです。後者は一つの霊から現れてくる実りなのです。

水曜日
 火曜日の続きです。特にガラテヤ書5章22節、23節の「聖霊の結ぶ実」について学びます。まず、テキストが強調しているところは、「聖霊の実」の中心である「愛」は、十戒を否定しないということです。パウロは、9つのリストにおいて「愛」を第一に考えているのです。

木曜日
 ガラテヤ書5章24節、25節、今週の学びのポイント「歩む」についてもう一度考えます。「歩む」のギリシャ語「ペリパテオー」を取り上げ、アリストテレスの逍遥派(ペリパテーティコス)を思い起こさせるという指摘は興味深いです。師匠に従って歩きながら教えを受け論じつつ歩むことは、「導かれる」ことになるからです。また、「前進する」は、パウロが時々使う軍隊用語の一つと解説され、日々キリストの行軍に参加していることを思い起こさせます。「十字架につける」とは、人がキリストに従うなら、自己の肉の欲を十字架のキリストと共に葬り去ることを意味しています。これは聖霊の神の働きによって成り立つ極めて霊的な出来事です。言い換えるなら日々、キリストに信頼を置く戦いをすることです。