第14課 柳 鍾鉉

2017年 第3期 「ガラテヤの信徒への手紙における福音」 

第14課  十字架を誇る
 

 私たちは第3期の三ヶ月間ガラテヤの信徒へ送られた手紙を通して「信仰による義」について学びました。律法によって救いを得ようとした誤った走りから使徒パウロはキリストの恵みによる救いへと大きく方向を変えました。それによってパウロの世界観や価値観が変えられ、彼の一番誇りとするものはキリストの十字架になりました。残酷極まりないローマの死刑道具である十字架がなぜ使徒パウロにとって一番の誇りになったのかについて共に考えてみたいと思います。

日曜日:パウロ自身の手
ガラテヤ6:11〜18でパウロは大きな字で、自分の手で直接手紙を書いていることを語っています。その当時はパウロ自身が手紙を直接書かないで筆記者をつかって手紙を書かせる習慣がありました。ところが、他の手紙とは違ってガラテヤにある教会へ手紙を書き送る際は筆記者を使う事なく自分で大きな字で手紙を書いていることを話しています。大きな字で書いた理由については学者たちによって見解を異にしますが、一つ確かに言えることはパウロ自身が何か大切なことを伝えようと思って何かを強調するために意図的に大きな文字で書いたということです。それだけ、パウロは信仰による義から離れ、誤った教えに惑わされそうになっているガラテヤにある教会の信者たちを愛していたと考えられます。パウロの教会に対する愛は譴責や警告そして勧告という形でも現されました。

月曜日:肉について誇る
ガラテヤ6:12、13を読んでください。使徒パウロは肉において人からよく思われたがっている人たちのことについて触れます。パウロが話している彼らの動機はいったい何だったでしょうか。「ユダヤ人の宗教指導者たちは、依然として多くの分野で大きな政治的影響力を及ぼしていました。彼らはローマの正式な認可を受けていたので、多くのユダヤ教徒が彼らと良好な関係を維持することに熱心でした。異邦人に割礼を施し、律法を守るように教えることによって、ガラテヤの厄介者たちは地元のユダヤ人と共通点を見いだすことができました。これによって、彼らは諸会堂と友好な関係を維持できただけでなく、異邦人になされている働きに対して疑惑を深めていたエルサレムの信者とのつながりを強化することさえできたのです(聖書研究ガイド。P.97)

火曜日:十字架を誇る
ローマの残酷な死刑道具であった十字架刑は、息を引き取る最期まで人間に耐え難いすべての苦痛や苦しみを与えながら徐々に気を狂わせて死なせるよう工夫され考案された死刑道具でした。我らの救い主イエスはそのローマの死刑道具である十字架刑を受けられたのです。ですから言うまでもなく古代世界で十字架は誇れるものではなく嫌悪されるべきものでした。そのような十字架をパウロは誇りとするとはどう意味でしょうか。パウロはキリストの十字架の真のパワーを知ったのです。十字架が自分自身を罪から救い、滅びから救い完全な者へと変えてくれたことを体験したからでした。異邦人には愚かなものに過ぎないキリストの十字架がキリストを信じる私たちには神の力であり、神の知恵になるのです(コリント第一 1:23、24)

水曜日:新しい創造
ガラテヤ6:15を読んでください。パウロはもっとも大切なものである「新しく創造される」ことについて話します。これは新しく生まれることを意味します。生まれるとは生むことはなく、誰かによって生まれることです。自分の力や知恵や努力によるものではありません。聖書は新しく生んでくれる方であるキリストについて書かれた書物です。「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(コリント第二 5:17)。真の宗教は、外面的な行為に根差しているのではなく、人の心の状態に根差している(聖書研究ガイド、p.99)と言えます。キリストにあって新しく造られた使徒パウロはピリピの手紙1:6で「あなたがたの中で良い業(再創造の働き)をすでに始められた方」のことに言及して、その業を必ずキリスト・イエスの日までに成し遂げてくださると確信していました。

木曜日:最後の言葉
ガラテヤ6:16〜18を読んでください。使徒パウロは神の民に対して神の平和と憐れみがあるようにと祝福の言葉を述べました。そして「主イエスの焼き印」について話しました。彼が話した「主イエスの焼き印」は何でしょうか。それはおそらく主イエスの名のゆえに受けた迫害や苦難による彼の体に残った傷のことだったかもしれません。しかし、主イエスの焼き印は目に見えるものに限られるものだけでしょうか。そうではないと思います。
パウロはキリストを愛し、キリストの十字架を誇りとしてキリスト者としてキリストに対する忠誠心を話しているのです。
「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ 8:38、39)。

 キリストの十字架は使徒パウロだけが誇るものではなく、主を愛し、主に従うものすべてが誇りとするものでなければなりません。十字架を高く掲げて日常生活においても勝利するキリスト者になろうではありませんか。