第2課 張田 佐喜夫

2017年 第3期  「ガラテヤの信徒への手紙における福音」 

はじめに
 この手紙が書かれた背景には、パウロが伝道し共に歩み育てたガラテヤ地方の教会に、ユダヤ主義者(律法主義者)たちが入り込んで、パウロが伝えた福音を否定した事実があります。偽教師の主張は、キリストを信じた後も、割礼を受け律法を守るような、あたかもユダヤ人のように生活しなければ、救いには不十分だという指導でした。「福音の本質そのものに対する攻撃」(ガイドp11)。これらは小さな意見の相違ではなく、救われてゆくはずの、人の魂の生死に関わる問題で、妥協点はありませんでした。それで、パウロは正しいキリストの十字架の福音に立ち返るように願い、勧めた手紙がこの手紙でした。
パウロの使徒としての権威
 パウロは冒頭で、自分の使徒職は人間の権威者から受けたものではなく、神からの啓示によって、直接キリストから与えられた事を強調しています。この事はガラテヤの教会の中に、“パウロはイエスの直接の弟子ではない。イエスに師事し共に過ごしたわけでもない。キリストの迫害者であり遅くに弟子になった者で使徒としての資格は無い。”等、パウロの反対者の中で言われていたからです。その反論としてパウロが使徒として選ばれたのは、ダマスコ途上での劇的な体験(使徒9:1〜)によるもので「人々からでもなく、人を通してでもなく」としか、言いようがなかったのです。しかし、パウロは傲慢に自分の権威を主張しているわけではありません。「イエス・キリストとキリストを死者の中から復活させた父である神によって使徒とされ」とあるように、自分は使徒であり神の奉仕者にすぎないと言っているのです。キリストの中に自分を見出す者にすぎないのです。
ほかの福音はない
 ガラテヤの教会は、ユダヤ主義(パリサイ派の律法主義)に逆戻りした教会であったわけではありませんでした。パウロとバルナバが伝えた福音は異邦人のクリスチャンに広まっていました。ただイエス・キリストを信じてゆく純粋な福音と、パレスチナ地域を中心とするユダヤ人クリスチャンに見られるユダヤ主義的キリスト教との間に対立があったようです(使徒15:1〜)。
 パウロを驚かせたのは、ガラテヤの教会の改宗者たちがキリストにある恵みの福音から離れて、異なった救いの方法へと偽教師によって煽動されていた事です。パウロの福音は神の恵みの福音でした。律法を実行する事によっては、誰も神の前では義とされない事は、パウロの福音が伝えていました。「ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」(ローマ3:24)。パウロは、偽教師の教えはもう一つの新しい福音というようなものではなく、本当の福音とは全く違うものだと言っています。この様な教えは、もはや福音からはかけ離れ、キリストの恵みを全く無視する様なものでした。パウロにとって無価値な者に対する神の恵みの福音は、色々と付け足しては、それはもう福音ではないとの厳しい示しです。
 またパウロはこのような傾向に陥りやすい人間の弱さを知っていました。多くの人は信じるだけでは不安なのです。何か行動する事により安心感を得ようとするのです。「律法の行いによらずして、ただキリストを信じる信仰を通して、恵みによって義とされるという福音のメッセージ以外のものが教会の中心に来ることはありえない」(副読本p20)のです。かつてパウロは律法を遵守することが彼の重要な事でした。しかし、キリストに出会ってからは、キリストの恵みが、全生涯をかけての関心の中心でした。

ディスカッション
♢私たちの身近な所でも偽教師は働いていると思われますか?もし、働いているならば私たちに直接どの様な形で働きかけていますか?
♢恵みと平和によって生じるキリストにある自由は、私たちに何をもたらしますか?