第4課 青年用: 青木 泰樹

2017年 第3期  「ガラテヤの信徒への手紙における福音」

信仰のみによる義認

今週のポイント
① 日曜日:「義認」という言葉には、罪が赦されるという意味だけでなく、神の前に正しい存在であるとみなされるという積極的な意味があります。

② 月曜日:パウロは「律法の実行」によって人間が神の前に正しい存在であるとみなされることはあり得ないと考えていました。なぜならば、パウロは人間の思いと行動が神様の思いと行動とに100%一致することがあり得ないと考えていたからです。

③ 火曜日:神様は私たちの信仰や忠実さを見て正しい存在であるとみなしてくださるわけではありません。キリストがご自分に対して完全に忠実であったことによって、神様は私たちをも正しい存在であるとみなしてくださいます。

④ 水曜日:「信仰」とは、私たちに憐れみを注いでくださった神様に対して感謝したときに生まれるその神に従って生きようという決意であり、実際の生き方までも含まれます。神様は私たちがキリストを信じ、受け入れるとき、その生き方が変わると信じてくださっているのです。

⑤ 木曜日:キリストを信じるということは、キリストと同じ価値観を持ち、キリストと同じ行動基準を持つということです。少なくとも罪を犯し続けることに居心地の悪さを感じるということであり、何とか解放されたいという思いを持つということです。

⑥ 金曜日:私たちはキリストを信じることによってのみ、キリストのようになることができ、神の前に正しい存在であるとみなされるということを学びます。

用語解説
① 道徳律(27ページ):モーセの律法のうち、倫理や道徳に関する普遍的な命令。時や場所に制限されることなく、神様がすべての時代に生きるすべての人間に与えてられており、今も有効なもの。その代表的なものが十戒。
② 礼典律(27ページ):モーセの律法のうち、儀式に関する命令として与えられているもの。すべての儀式はキリストによる神の救いの計画を指し示すものであったため、キリストが実際に十字架にかかって罪の責任を負われたことによって廃止された。

ディスカッションのためのテーマ
① 私たちは律法を行うことによっては義とされないのであれば、どうして律法に従わなければならないのでしょうか?そもそも、どうして神様はそのような律法を私たちに与えたのでしょうか?
② 神様を信じ、神様を愛し、神様に従いたいという気持ちがあるのに、実際には神様に従えていないことはないでしょうか?それは、信じていないということなのでしょうか?水曜日の学びをふまえて、話し合ってみましょう。