第6課 安河内アキラ

2017年 第3期 ガラテヤの信徒への手紙における福音

第6課            約束の優先権            

暗唱聖句  「相続が律法に由来するものなら、もはや、それは約束に由来するものではありません。しかし神は、約束によってアブラハムにその恵みをお与えになったのです」ガラテヤ3:18
                                                                                       
今週の聖句  ガラテヤ3:15~20、創世記9:11~17、マタイ5:17~20
       出エジプト記16:22~26、創世記15:1~6

今週の研究 
今週の研究の中で、パウロは私たちの注意を、アブラハムに対する神の約束と、430 年後にイスラエルに与えられた律法との関係に向けます。両者の関係はどのように理解されるべきでしょうか。それは福音を宣べ伝えることに対して、どのような意味を持っているのでしょうか。

日曜日:パウロは、神とアブラハムの契約の特徴を強調するために、「契約」と「遺言」の二重の意味に気づいています。人間の遺言と同様に、神の約束は具体的な受取人(アブラハムと彼の子孫)に関係しており(創12:1~5、ガラ3:16)、相続財産も含んでいます(創13:15、17:8、ロマ4:13、ガラ3:29)。パウロにとって最も重要なのは、神の約束の不変の性質です。人間の遺言がひとたび有効になったら変更できないように、モーセを通して律法を与えることで、神とアブラハムの先の契約を無効にすることはできません。神の契約は約束であり(ガラ3:16)、神は決して約束を破るお方ではないのです(イザ46:11、ヘブ6:18)

火曜日:パウロが言おうとしているのは、律法はまったく異なる目的のためにイスラエルに与えられたということです。それは人々の目を、神と、信仰によって神のもとへ来るすべての人に神から与えられる恵みへ向け直すためのものでした。律法は私たちに、私たちの罪深い状態と神の恵みの必要性を明らかにします。律法は、 救いを「得る」ための、ある種のプログラムになるよう意図されたのではありませんでした。それどころか、律法は「罪が増し加わるため」(ロマ5:20)に、つまり私たちの人生における罪を一層はっきり示すために与えられたと、パウロは言っています(同7:13)。

木曜日:シナイにおける律法の授与は、無数の天使が見守る中での荘厳なものであり、モーセは律法の付与者として重要でしたが、律法の授与は間接的でした。まったく対照的に、神の約束はアブラハム(つまり、すべての信者)と直接なされました。なぜなら、仲介者を必要としなかったからです。結局のところ、律法がどんなに重要であろうと、それは信仰による恵みを通しての救いの約束に代わるものではありません。それどころか、律法は、この約束がいかにすばらしいものであるかをよりよく理解できるように、私たちを助けるものなのです。アブラハムと神との直接的な出会いの性質や神とのそのような直接性には、利点がありました(創15:1~6、18:1~33、22:1~18)。

 今週の学びの中で、シナイ山で律法が与えられたのは「奴隷時代に神に関する知識と、アブラハムに与えられた契約の原則の大部分を忘れてしまったため」と書かれています。律法は出エジプトに際して、新たに制定されたのではなく、それまでに与えられたものを再び与えて、契約を結びなおしているのです。もちろん、当時の必要にあわせてシナイ山で与えられた法もありますが。
 火曜日の引用文も大切です。律法の役割をわかりやすくまとめてあります。律法はわたしたちが神さまの恵みに向かうように導くものです。救いへ導く道具であり、目的ではありません。
 今週の学びで覚えていただきたいことは、日曜日の引用文にありますが「最も重要なのは、神の約束の不変の性質です。」この部分です。神さまは、状況が変わったからと約束を反故にする方ではありません。キリストを信じる者をだれでもお救いくださる、この約束は今もそしてこれからも変わらないものなのです。だからこそ、全世界の人々が信頼しているのではないでしょうか。