第7課 池増 信男

2017年 第3期  「ガラテヤの信徒への手紙における福音」 

はじめに
今週のSSガイドの学びは、ガラテヤ書3:21-25となっています。先週学んだ3:15-20において、パウロはアブラハムに与えられた神の約束が430年後に与えられた律法によって無効にされることはないと語りました。このように約束が律法より優先されるということであれば、律法の意義はどこにあるのかという疑問がユダヤ教化された信徒の間に生じます。律法不要論も起こります。それでパウロは律法の意義を語りました。その一つは、「律法は約束を与えられたあの子孫が来るまで、(人々に)違反(罪)を明らかにする」ものだと回答しました。21節からも再度律法の意義をパウロは語ります。

律法は神の約束に反するものであろうか。
パウロは律法の役割を3つの言葉で明らかにしています。
「監視する」、「閉じ込める」、そして「養育係」という言葉です。

1)「監視」
  今の時代いたる所に、監視カメラが取り付けられています。私たちは監視され、支配されることには抵抗感を覚えるものですが、その反面、防犯や容疑者の特定等に役立ちます。私たちを保護してくれる働きをしてくれます。国の憲法、法律、条例、そして神の律法もしかりなのです(ガイド49頁第2段落参照)。自分の行動が制約される、自由が奪われると考えがちですが、しかし、それらを順守すれば、自分の生命、財産、名誉などが守られます。特に神の律法は私たちの祝福のために定められているのです。

2)「閉じ込める」
パウロは、「聖書(律法)はすべての人を罪の支配下に閉じ込めた」、また「私たちは律法の下で監視され、閉じ込められている」と語りました。どういうことなのでしょうか。一つは、ユダヤ人は、律法を遵守することによって神の約束に預かろうとしたという意味であり、二つ目は、ユダヤ人を始め異邦人も律法を守る事が出来ず、かえって律法に縛られているという意味です。要するに、律法を行うことによって神の約束に預かろうとする者は、律法に縛られている状態だとパウロは言うのです。そして縛られている人は、その縛りから解放される事を願います。

3)「養育係」(パタイゴーラスというギリシャ語に由来する)
  ローマ社会においては奴隷が主人の子どもらの養育係となりました。7歳頃から成人するまで彼らの成長に関して責任が委ねられ、肉体的必要を満たし、道徳的・知的・教養の面においても面倒をみました。この事例を用いてパウロは律法の役割を説明しています。律法は確かに人に罪を指摘し、指導します。有罪を宣告します。しかし神はその事を私たちの益となるように用いられます。すなわち律法の有罪宣告がキリストへ私たちを駆り立ててくれるからです。福音と律法は矛盾しません(ガイド50頁3段落目参照)。 

 最後に、キリストに出会った者は「養育係の下にはいません」ということから、もはやクリスチャンは律法と無関係になっているという考えがあります。しかしそうではありません。人は一度キリストに出会ったからといって安心は出来ません。キリストから離れる可能性は残ります。その時には、もう一度律法は養育係の働きをするのです(副読本53頁下段参照)。