第7課 聴覚しょうがい者用:島田 隼人

2017年 第3期  ガラテヤの信徒への手紙における福音

第7課 信仰への道

1.今週のテーマ
 道に迷った時の気持ちを思い出してください。
不安と恐れが心を支配(しはい)し、早く知っている道に出たいと願います。今週は「信仰の道」について考えます。時に私たちは信仰の道においても迷子になります。イエス・キリストから目を離すことによって迷える子供となるのです。イエスさまから目を離さないために、神様が私たちにお与えになられたのが「律法」です。「律法」と「信仰への道」の関係を祈りつつ学びましょう。

2.「律法と約束」(日)
 パウロに反対する者たちは、イエス・キリストを信じる信仰によって永遠の命を得るという「福音」に納得(なっとく)がいきませんでした。律法を知り、律法を行うことによって霊的な命が与えられると信じていたからです。
「律法はだれも霊的に生かすことができません。しかしこのことは、律法が神の約束と対立するという意味ではありません。」(p.47 二段落目)
 律法を知ることによって、神様の約束が福音(グッドニュース)となるのです。パウロは決して律法を不必要なものとは考えていません。むしろ、福音を語る上で「律法」は欠かせないと言っています。
 律法を知り、自分の罪深さに気づき、そしてこの罪から救ってくださる「道」であるイエス・キリストを求めるようになるのです。

3.「律法の下(もと)で」(月)、「私たちの『監視』としての律法」(火)
 私たちが神様の律法の下で生きるただ一つの方法とは、イエス・キリストと一体となることです。律法の下(もと)で生きるとは、「自分の力」で律法に服従する生き方ではなく、律法が示してくださる「道」であるイエス・キリストと共に生きることなのです。
 「信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。」(ガラテヤ3章23節)
 火曜日(8/8)の学びの中にあるように、「監視され(る)」と訳されている言葉は「保護(ほご)する」という意味をも持ちます。
 パウロが伝えたい福音とは、律法が人々を監視して自由を奪(うば)うものではなく、人々を守り、自由へと導くために与えられた神様からの「道」であるということです。

4.「私たちの養育係としての律法」(水)、「律法と信者」(木)、さらなる研究(金)
 「こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。わたしたちが信仰によって義とされるためです。」(ガラテヤ3章24節)
 律法は、私たちを「信仰への道」、イエス・キリストへと導く養育係です。
 水曜日(8/9)の学びに出てくる、ギリシャ語の「パイダゴーゴス」についての説明を読み、養育係としての律法の働きを確認(かくにん)しましょう。(p.50)
 私たちは、養育係である律法によって守られ、導かれてイエス・キリストに結ばれます。
パウロの敵は、パウロが律法を大切にしていないと非難(ひなん)しました。しかし、律法なしに福音は語れません。それほどに、律法の働きを理解(りかい)することは重要なのです。
 52ページの「まとめ」を読み、律法によって導かれた「信仰への道」から迷い出ない生き方を祈り求めましょう。