第8課 山本 義子

2017年 第3期  「ガラテヤの信徒への手紙における福音」 

 今週はガラテヤ書3:26~4:20の中で“キリストによる救い”についての真理の理解が、個人の魂のための霊的な自由と希望を持つことができることを学びます。
使徒パウロは、信徒がキリストと一つに結ばれ続けるよう二つの段階を経て論じています。
①ガラテヤ書3:23~29の最終部分を4:1~7において要約しています。キリストだけが罪の滅びから救われる唯一の道です。私たちにご自分の義を分け与えることが出来るように、そしてご自身を通して私たちが父なる神と和解出来るようにと十字架に架かられたキリストを信じる人は、神の子としての身分が授けられ約束(自由)の相続人とされました。
②ガラテヤ4:8~11においては、一人一人がキリストと結ばれて一つとなったはずなのに、回心する前の“あの無力で貧弱なもろもろの霊力”に逆もどりしてしまうことのないように警告を与えています。

今週のポイント
(1)キリストの神性と人性  その1
キリストの来臨、十字架による贖いのご計画は、世の初めからあらかじめ備えられていました。そしてキリストは時満ちて「この終わりの時に・・・現れたのである」(第Ⅰペテロ1:20)。キリストが私たちのためにご自身を捧げられたのは、「永遠の聖霊によって」(へブル9:14)ですから、その犠牲はどの時代にも同じように、今でも効力があります。キリストが一人の信仰深い女性から“律法の下にお生まれになった”というのは、それがすべての人の状態、つまり律法によって罪があるとされた状態です。
「神はわたしたちの罪のために、罪を知らない方を罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためである」(第Ⅱコリント5:21)。キリストは完全に私たち一人一人の身代わりになられました。
 単なる私たちの代わりではなく、実際に私たちの立場をとって私たちの中に来られ、私たちの内で私たちのために私たちの命を生きる身代わりとしておいでになられました。キリストは私たちを律法に従順な生涯に向けて贖い出して下さいます。
 キリストが神性と人性、両方の性質を持って来られた理由は主に二つあります。その一つは神さまご自身を人間が理解できるように現わすためでした。二つ目は神と人間を結合させる力を、キリスト自ら所有されていることを証明するためでした。

(2)キリストの神性と人性  その2
 悪への傾向とは自己愛や利己心など、人間誰もが持って生まれる罪深い性質です。聖霊はすべての先天的後天的な悪の傾向に打ち勝つ力を私たちに与えて下さり、キリストのご品性を心に銘記させて下さることが約束されています(各時代の希望 下 156~157)。
 もしこの約束を信じて神さまに求めれば、悪への傾向に自分の思いを従わせることを選ばずに、すべてを聖霊の導きと支配下に置くことを選ぶ力が与えられます。私たちをキリストから引き離し、キリストに代わる何かに向かわせようとするのは、サタンの誘惑です。私たちは悪への傾向にしがみついたまま、聖霊ではなく自分の思いに従うという失敗を続けてしまうかもしれません。「先天的後天的な習慣や傾向の奴隷」(E・G・W)として生活するのではなく、罪の奴隷から私たちを完全に救うことができる神さまを信頼するかどうかが問われています。
 私たちが「キリストの人性、キリストの義」に関する真理を単に知識として持っているだけでは何の力もなく、その真理を実際に経験することにより、私たちは変えられていきます。私たちが十字架上であらわされたキリストの「真の義」を見つめるほど、自分の罪深さが鮮明に見えてきます。そして私たちは絶え間なくキリストにつながって生きる道しかないと、深い悔い改めを持続的に経験することができます。これらはすべてキリストが成してくださる恵みです。
 「キリストの義の衣を着る」ことは、イエスさまと同じ心、意志、精神、思いが私たちに与えられることです。その結果、キリストのご品性が私たちの日々の生活に良い行いとして自然に現れてくるのです。