第9課 青年用:城美 崇光

2017年 第3期 「ガラテヤの信徒への手紙における福音」

第9課 パウロの社会的訴え

今週のポイント
① 私たちは、控えめであったり、遠回しな言い方をして自分の思いや考えを相手に伝える場合は対象となる相手が誰かまた、場合(重要度)によって決まるのではないでしょうか。(親や、兄弟、友人への話し方と、初めて会う人へのアプローチは違います。)パウロ先生がガラテヤの人たちに強い口調で言ったのは、パウロ先生自らが設立した教会であり、それだけ教会に対して責任を感じていたからなのでしょうね。「パウロ先生の心」にはガラテヤの人がお腹にいる赤ちゃんの発育を指す言葉で「形づくられる」といっています。ガラテヤの人たちに「どうかお願いだから」と伝えていていることは、ガラテヤの人たちの目に見える、それも彼らをとおしてイエス様を見ることが出来るくらいの変化を求めていました。

② クリスチャンという言葉の発祥地はアンティオキアであります。彼らクリスチャンと呼ばれる人たちは、イエス様の真似をしているように他の人に見えたのでしょう。「キリストの真似をする者」として、クリスチャンと呼ばれていました。パウロ先生はガラテヤの人たちに、自分(パウロ先生)のようになってください。と言っています。「わたしの真似をしてください」とはいっていません。ここに、真似となりきることの違いがはっきりします。実のところ、初めてクリスチャンと呼ばれた人たちは、イエス様の真似をしていたとは考えにくいですよね。イエス様が死から生きかえり、天に昇るのを目の当たりにしているのですから!!

③ 私が幼稚園、小学校の時と今の教会を比べると目に見える大きな変化があります。まず、こどもさんが少なくなりました…。たまに、「教会はこうだった。」と過去の思い出を聞くことがあります。それらの思い出は、必ずしも良い事ばかりではありません。パウロ先生とガラテヤの教会員の関係は、現在の教会と比べたら、そんなに難しくなかったようですね。パウロ先生がガラテヤに意図して行く予定はなく、病気が原因で長期滞在を余儀なくすることになりました。「ガラテヤの信徒への手紙」が書かれた当時はまだ、病気は神様に背いた結果と受け入れる人が存在しました。しかし、ガラテヤの人たちはパウロ先生とその説教を拒絶させなかったのは、十字架の説教と聖霊による確信で心が整えられていたからです。私たちも十字架の説教にそして聖霊様に心を整えて頂きたいですね。

用語解説
十字架の説教=使徒言行録2章で、ペトロ先生が説教の中で「イスラエルの全家ははっきりしらなくてはなりません。あなたがたが十字架につけてころしたイエスを、神は主とし、メシア(救い主)となさったのです。」とあります。イスラエル人によってイエス様が殺された。とあります。この事が東の果ての国、日本と何の関係があるのでしょうか。イエス様はただ殺されたのではありません。世界中の人たちの罪、(自分中心な思いに集約される人間の本質、弱さ)のために死なれました。私たちは自分の罪の故に死ぬ以外にありません。しかし、イエス様の十字架の事実を聖霊様の働きかけを通して信じるとき。それはまさに、福音(グッドニュース)です。イエス様はもうすぐ戻ってこられます。どのようにして、このグッドニュースをまだ知らない人に伝えることが出来るか話し合ってください。