第1課 安河内アキラ

2017年 第4期 信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙

第1課         ローマの使徒パウロ          10月7日

暗唱聖句 「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです」 ローマ1:8

今週の聖句  ローマ15:20~27、使徒言行録28:17~31、フィリピ1:12、ローマ1:7、エフェソ1章、ローマ15:14

今週の研究  パウロの扱っている目の前の問題が、いかにある地域に限定されていようと、その問題-この場合は、「いかに人は救われるのか」という疑問-の背後にある原則は普遍的です。確かに、パウロは特定の人々に向かって語っていましたし、確かに、その手紙を書いていたとき、彼の頭には特定の問題がありました。しかしご存じの通り、パウロが書いた言葉は、最初に書かれたときにローマの信徒にとって有意義であったように、何世紀もあとのまったく異なる時代と背景の中で、マルティン・ルターにとっても有意義でした。そしてその言葉は、現代の私たちにとっても有意義なのです。

序 言:今日の忠実なプロテスタントたちも、神の言葉に立ち、あらゆる非聖書的な言い伝えや教義に抵抗すること以外にできることはありません。
福音をゆがめるだけでなく、実のところ、福音を奪ってもいた長年の迷信と誤った教理からルターがキリスト教を解放して以降、間違いなく、キリスト教は大きく前進しました。
しかし長い年月を経て、宗教改革は失速しました。進歩が冷淡な形式主義に置き換わった部分もあれば、実のところ、人々がローマに逆戻りした部分もあります。そして今や、教会合同運動と多元主義の時代にあって、宗教改革を促した代表的な真理の多くが、ルターの時代と同様、今日も解消されていない根本的な違いを隠そうとする語義上のごまかしという集中砲火の下で曖昧にされ、覆い隠されています。ローマ書の中に見いだされる「信仰による救い」というすばらしい知らせとともに、ダニエル7:23~25、8:9~12や黙示録13章、14章の預言は、プロテスタントの先人たちが命を犠牲にしてまで擁護した真理を、なぜ聖書に忠実な者たちがしっかり守らなければならないのかを示しています。

日曜日:西暦49年から58年にかけての第二次伝道旅行の際に、パウロはコリントで教会を設立しました(使徒18:1~18参照)。西暦53年から58年にかけての第三次伝道旅行の際には、再びギリシアを訪れ(使徒20:2、3)、旅の終わり頃に、エルサレムの聖なる者たちの ための献金を受け取っています(ロマ15:25、26)。それゆえ、ローマの信徒への手紙は西暦58年の初めの頃に書かれたのでしょう。 第三次伝道旅行で、パウロはガラテヤ教会を訪問しました(使徒18:23)。パウロはガラテヤの諸教会を訪れたとき、彼が不在だった間に、偽教師たちが教会員を説得し、割礼を受けてモーセの律法のほかの掟にも従うようにさせていたことを知りました。パウロは、彼がローマに到着する前に敵が着くことを恐れ、ローマ で同じ悲劇が起こるのを未然に防ぐために手紙(ローマ書)を書いたのです。ガラテヤの信徒への手紙(以下、ガラテヤ書)も、パウロが第三次伝道旅行でコリントに3か月間滞在していた間に(おそらくは到着した直後に)書き送られたと考えられています。

月曜日:ローマ15:20~27を読んでください。パウロは、ローマをもっと早く訪問できなかった理由を説明しています。いつ行くかを決める理由として、宣教は重要でした。ここでのパウロの言葉から、私たちは宣教や証について、大切なことを学ぶことができます。ユダヤ人と異邦人について、パウロはローマ15:27で、とても興味深い(そして重要な)指摘をしています。
 異邦人のための偉大な宣教師は、福音がすでに根づいた場所での働きはほかの人に任せ、 自分は福音を新しい地域へ伝えなければならないと常に感じていました。キリスト教が生まれたばかりで、働き手がほとんどいなかった当時、福音がすでに到達した地域で働くことは、パウロにとって貴重な宣教力の浪費だったのでしょう。彼は次のように言っています。「このようにキリストの名がまだ知られていない 所で福音を告げ知らせようと、わたしは熱心に努めてきました。それは、他人の築いた土台の上に建てたりしないためです。『……聞かなかった人々が悟るであろう』」(ロマ15:20、21)。
 ローマに定住することがパウロの目的ではありませんでした。彼の目的はスペインで伝道することでした。この冒険的企てのために、パウロはローマのクリスチャンたちの支援を得たいと願っていました。

木曜日:ローマ15:14 を読んでください。ローマのクリスチャンたちの体験において注目に値する点として、パウロはここで三つのことを挙げています。
 ①「善意に満ち」―私たちもそうだと、人々は言ってくれるでしょうか。
 ②「あらゆる知識で満たされ」-聖書は、啓発、情報、知識の大切さを繰り返し強調しています。
クリスチャンは聖書を学び、その教えに精通するよう勧められています。「『わたしはお前たちに新しい心を与え(る)』という言葉は、『わたしはお前たちに新しい思いを与える』という意味である。心の変化には常に、クリスチャンの義務に対するはっきりした確信、真理の理解が伴う」(エレン・G・ホワイト『きょうを生きる』24 ページ、英文)。
 ③「互いに戒め合うことができる」-仲間の信徒から孤立しては、だれも霊的に成長できません。私たちは他者を励ます必要があると同時に、他者によって励まされる必要もあります。

今週からローマ信徒への手紙について学びます。今週は序論です。ローマ書が書かれた年代や背景などについては、日曜日の学びに書かれています。書かれた順序に、ガラテヤを学び、それからローマ書を学ぶことになりますね。
 ローマ書の他のパウロの手紙と異なる特徴は、訪問をしていないのに手紙を送っているのです。他の教会や個人への手紙は、パウロが開拓伝道を通して立ち上げた教会や導いた方への手紙ですが、ローマ書はこの時点ではまだパウロはローマに訪れる前に書いているのです。ローマの教会がどのようにして誕生したのかはわかりません。引用していませんが木曜日の学びの前半に、五旬祭の時の改宗者、またその後の改宗者が、当時の世界の中心であるローマに集まり教会が誕生したと考えるのが妥当ではないでしょうかと書かれています。ローマ皇帝は「すべての道はローマに通じる」と、街道の整備を進めました。当然、多くの人がローマを目指したでしょう。その中にクリスチャンがいたのではないでしょうか。そしてその中には、パウロが導いたり、よく知っている方もいたのでしょう。最後のあいさつに、いろいろな方の名前が出ています。パウロは、このような 信徒を偽教師から守りたかったから、この手紙を書いたと日曜日の学びでは書かれています。
 木曜日の引用文もお読みください。ローマのクリスチャンの注目すべき点が三つ書かれています。
善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができる、あたたかく、そして広く、深い教会の方々の姿が伝わってきますね。
 ローマ書は、聖書の中でパウロの手紙の中で最初に置かれています。それだけ重要な書簡なのです。きっと皆様も何回も読まれていることでしょう。そのローマ書から今期、新たな光を見つけてください。