第1課 聴覚しょうがい者用:浦島 智加男

2017年 第4期 「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第1課  ローマの使徒パウロ

1、 初めに
 今期は、先期のガラテヤの手紙に引き続き、その中心テーマである「信仰による義認」について、さらに深く学ぶことになりました。
1517年9月31日に、マルティン・ルターがガラテヤ書・ローマ書を熟読して、再発見した真理を、95か条にまとめて、カトリック教会の扉に張り付けてから改革の輪が広がりました。今年は、それから、ちょうど500年の記念の年になります。その改革のおかげで、私たちもこうして、今日の私たちも、救いの根幹(一番大切なもの)となる「信仰のみによる救い」を享受(きょうじゅ)(その真理を受け入れ、信仰生活が豊かになる)しています。
今期、さらに、深くこの真理を掘り下げていきましょう。

2、 使徒パウロの手紙
 パウロは、異邦人の多く住む、アジヤ・マケドニア・ギリシャなどに多くの教会をつくってきました。でもイタリヤやスペインなど西方の地には、足を踏み入れていなかったので、この地方にも福音を満たしたいという願望を持っていました。
 しかし、彼がそこへ行く前に、離散したユダヤ人で、エルサレムの過ぎ越しの祭りに参加し、あのペンテコステの日、聖霊を受け、真理を得た人たちが、故郷に買ってから、ローマに教会を作っていたのではないかと、言われています。
今、パウロはコリトントに3か月滞在しています。エーゲ海を経て隣のイタリヤに、同信の仲間がいる、その人々が福音の中心「信仰による義認」をしっかり把握していて欲しかったのでしょう。これまで、パウロを悩ませてきた、おそらく偽教師もいるに違いない、ですから心こめて、コリントから、この手紙を送ったのです。

3、 ローマ訪問―パウロの強い願い
 できたら、この足でローマにも行きたいと思ったでしょうが、今は、エルサレム教会の経済的な困窮を聞いていたので、第3次旅行で、伝道しながら、今ある各地の教会に立ち寄って、エルサレム教会の窮状(きゅうじょう)を訴え、献金を募って回っていました。ほぼ目標の献金が集まったので、これをエルサレム教会に届けて、その後イタリヤ・イベリヤ(スペイン・ポルトガル)に赴(おもむ)く計画を立てていたのです。
 そのうち、そちらのローマ教会に私が行くので、スペイン伝道をはじめる際には、支援をよろしくたのみます、との依頼の意味もありました。
 
4、  ローマにおけるパウロ
 献金を届けた後、あちらこちらで、福音を述べ伝えていたので、これを嫌うユダヤ人達から、彼は異端の教えをばらまいて、社会を騒乱(さわがせる)させたている、と当局に訴えました。パウロはその罪状で、告訴され、カイサリアという町で、拘束され、2年間牢獄に入れられます。そこで、自分は、ローマ市民権を持っているのだから、ローマ人としての裁判をローマの元老院(げんろういん)で受ける権利があると役人たちに主張します。ローマ法律では、市民の権利は擁護(無視されることがない)されていたのです。
 被告として、裁判を受けるためのローマの元老院(げんろういん)に護送されるという身分での旅でしたので、ローマまでは、行けたのですが、裁判をうけられる期間が長く、その間、獄に拘置(留め置かれる)され、裁判後も獄に入れられましたが、その束縛は比較的ゆるいものでしたので、ある程度の自由もあり、ローマ教会の信徒
の家なども訪問する機会もあったようです。しかし、結局スペイン伝道は実現しませんでした。
 
5、 ロ-マの「聖なる者」              
 ローマ教会に、手紙をおくるにあたって、まず、手紙を書いた本人の素性を紹介し、そのあとで読み手の人々の立場を気付かせようとしています。
 あなたたちは、自分では気づいていないかもしれませんが、イエスキリストを信じている人とはどんな特権と内容があるかを知ってほしいのです。「神に愛されている」「召されて聖なる者となっている」ということを。その説明はガイドに詳しくあります。

6、 ローマの信徒たち
 ローマ教会は、先に書いたようにパウロが建てたものではありません。そのころ、使徒ペテロもローマにいて、彼もローマで殉教(じゅんきょう)していますから、かれもその設立にかかわっていたかもしれません。でも、記録がないので、わかりません。誰が指導者であったかも書いてないのです。
 しかし、ローマ教会の信徒は、様々な迫害や困難もあったでしょうが、「みな信徒が生き生きとしていて、熱心であったと」ホワイと夫人も書いておられるので、りっぱな教会だったのでしょう。パウロの手紙をうけて、さらに成熟した教会になったことでしょう。