第11課 聴覚しょうがい者用:山路 俊晴

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第11課         選ばれた者          山路 俊晴 

はじめに
 今週は10章と11章を学ぶようになっています。実は9章からの話が続いていて、これらの3章を通してパウロは神様の憐れみがすべての人に与えられていることを語っています。ユダヤ人が間違った方法で救いを求めて失敗しました。間違った方法とは、イエスを信じることによる救いではなく、自分の力と努力で律法を守って救われようとしたことです。パウロはユダヤ人は貧乏くじを引かされて犠牲となったのではないということを精一杯説明しています。ユダヤ人の失敗は、異邦人への伝道の道が開かれ、結果的にはユダヤ人も異邦人もみんな神様の憐れみと恵みによって救われていくことを告げています。
 
日曜日(10日)「キリストと律法」
 パウロは同胞のユダヤ人が救われることを強く望んでいますが、彼らは救いの道を間違えたことをはっきりと告げています。自分でよいことをして救われるという考え方は、世界中の宗教の考え方です。ユダヤ人はその考えの下で、律法を守ることでよいことをしようと考え、一生懸命に律法を守ろうと努力しました。結果、熱心な律法主義が生み出され、パリサイ人のグループが生まれました。パウロも初めはその一人でした。しかし、人の努力で正しさを獲得して救われようとする方法は、決して目標である救いに達することはできないのです。唯一到達できた方がイエス・キリストでした。しかも、到達した方法が神様を信頼する信仰によってでした。パウロは、このイエスの方法が唯一の救いの道であり、ユダヤ人が求めていた目標に到達できる方法でありました。すなわち、達成者であるキリストを信じ、信頼していくとき神様の前に正しく義なるものとなれるのです。その方法のみが、人が救われる方法なのです。

月曜日(11日)「恵みによる選び」
 パウロ自身が質問する形で、ユダヤ人の救いのことが語られています。ユダヤ人は神が与えてくださる救いを得ることを確かに失敗しました。もうユダヤ人には望みはないのでしょうかとパウロが尋ねた後、きっぱりと、神様はユダヤ人(御自分の民)を捨てられ、退けられることはないと断言しています。それは、自分も失敗の道を歩んでいたけれども、今こうして正しい救いの道を歩むことができているとパウロは主張しています。かつて、エリヤの時代でも神様に正しく従うものは自分だけだとエリヤが神様に叫んだとき、神様は7千人も神様に正しく従う「残りの民」がいることを告げられました。このことは、現代においても、多くの人が神様の正しい救いの道から離れ、人間的な善行による救いの道へと迷い込んでしまっているように見えても、他にまだ多くの人が神様に従い、信頼して救いにいたる残りの民でいることを私たちに示しています。神様の恵みの選びとは、「一人も滅びないで永遠の命を得るように」との思いに表されている選びです。

火曜日(12日)「自然に生えた枝」
パウロはユダヤ人が救いの道の選びを失敗したことにこだわり続けます。彼らの失敗は異邦人の救いにつながったプラスの面もあったと語っています。接木(つぎき)のたとえを用いて、ユダヤ人もそして神を信じていく異邦人も、みんなが救いに預かっていくことを話しています。ある枝(ユダヤ人)が切り取られその代わりに、野生のオリーブの枝(異邦人)がその後に接木された。これが、今起こっている現状であるとパウロは説明をしています。接木をささえているのは、元にあった木や根(ユダヤ人とその宗教)なので、救われたものは決して自分を誇ったり、ユダヤ人をさげすみ、批判してはいけないと主張しています。いずれは、ユダヤ人の信仰も回復されて、神様の救いの計画通りに多くのユダヤ人も救われるようになるのです。神様の救いは、全ての人に与えられているもので、その神様の恵みにより、現代の私たちもイエス・キリストにより救いを与えられています。罪を犯してしまったらもう救われないとか、もっと清く、完全にならないと救われないと考えること、またその逆に、救われているから何しても大丈夫のような考え方は間違っています。あくまでも、神様からの賜物としての救いを信じて受け、神様の元にとどまり続けていくことが、救いなのです。枝が幹につながっていることで、成長し、実を結んでいくのと同じです。

水曜日(13日)「全イスラエルが救われる」
 長年、ローマ11章25節の「異邦人全体が救いに達する」と26節の「全イスラエルが救われる」との言葉に関しての議論が続いています。このまま直接に意味をとれば、全人類、ユダヤ人と異邦人全ての人が救われることになります。しかし、聖書のどこにも人類全体の万民救済については書かれておりません。25節の「異邦人全体が救いに達する」はその後に「までであり」と期間について書かれていることから、異邦人全体に福音の宣教が伝わり、救いの道が開かれていくことを示していると考えます。後の、ユダヤ人が全て救われるに関しても、多くのユダヤ人がイエスを救い主として認めて信仰に入り、救われていくことを示していると考えられます。確かに、神の救いは全人類の救いを求めて、全ての人のためにキリストが十字架で死なれましたが、その福音を受け入れ、キリストを心に受け入れて救いにいたる人はむしろ、少ないようです。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタイ22:14)と書かれています。この大切な神様の救いの招きを正しく理解して、献身していきましょう。

木曜日(14日)「罪人の救い」
神様の全ての計画は罪びとを救うことでした。不従順な人や民を何とか救おうと神様はなされているのです。かたくなになったユダヤ人を用いて異邦人の救いの道を開かれました。本来の計画は、ユダヤ人を通して神の祝福と救いが全世界に伝わるはずでした。あらゆる状況の中で神様は「すべての人を憐れむ」(ローマ11:22)ことをなされました。「それゆえに、イエスによって与えられた憐れみを自覚しているすべてのクリスチャンが、その憐れみを他者にも示すことは、なんと重要なことでしょう。」と本日のガイドの中に書かれてあります。

まとめ
今週のタイトルは「選ばれた者」。神様に選ばれているのはすべての人々です。ユダヤ人が選民として選ばれましたがキリストをこばみ、すべての異邦人に福音が伝えれれるようになりました。その福音を受け入れて信仰を持って神様の救いの計画のうちに生きるものが「残りの者」です。神様のこの残りの者をユダヤ人の中に、クリスチャンの中に、他宗教の中に、多くの人々の中に持っておられます。「神様の富と知恵とのなんと深いことか。」(ローマ11:33)とパウロが叫んでおります。わたしたちも、残りの民の一人として神様の深い恵みと憐れみに感謝と賛美をささげ、このすばらしい福音を伝える働きに参加してまいりましょう。