第12課 安河内アキラ

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

12課         善をもって悪に勝つ         12月23日

暗唱聖句 「あなたがたはこの世に倣ならってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」ローマ12:2

今週の聖句  ローマ12章、13章

今週の研究  パウロは律法に関するローマの信徒の誤った考えを捨てさせようとしていますが、彼はまた、すべてのクリスチャンを高い標準の服従へ招いてもいます。この服従は、私たちの心の中の内面的変化、つまり神に屈服した人の中で働かれる神の力を通してのみあらわれる変化から生じるものです。

月曜日:ローマ12:3~21を読んでください。Ⅰコリント12 章、13 章と同様、パウロは霊の賜物を取り上げたあと、愛を高く評価しています。愛(ギリシア語で「アガペー」)は、より優れた方法です。「神は愛……です」(Ⅰ ヨハ4:8)。それゆえ、愛は神の御品性を言いあらわしています。愛するというのは、神が振る舞われるように他者に振る舞い、神が扱われるように他者を扱うことです。
 パウロはここで、その愛がいかに実際的な形であらわされるべきかを示しており、一つの重要な原則がはっきり表に出ています。それは個人的な謙虚さです―「自分を過大に評価し(ない)」(ロマ12:3)こと、「尊敬をもって互いに相手を優れた者と思(う)」(同 12:10)こと、「自分を賢い者とうぬぼれ(ない)」(同12:16)ことです。キリストが御自分について言われた、「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛くびきを負い、わたしに学びなさい」(マタ11:29)という言葉は、その本質を捉えています。

火曜日:なぜなら、統治という考え方が聖書の至る所に見いだされるからです。その概念、つまり統治の原則は、神が定められたものです。人間は、規則、法令、基準などを持った地域社会の中で生きる必要があります。無政府状態は、聖書的な概念ではありません。
そうは言っても、神があらゆる種類の政府やあらゆる政府の運営のされ方をお認めになっているということではありません。まったく違います。残虐な政権をいくつか見るのに、歴史においても、今日の世界においても、あまりにも遠くを見る必要はありません。しかしこのような状況の中にあっても、クリスチャンはできる限りその国の法律に従う必要があります。クリスチャンは、その政府の要求が神の要求と矛盾しない限り、政府を忠実に支援すべきです。権力に対抗する道を歩み出す前に、人は祈りつつ慎重に(他者の助言を受けて)考えなければなりません。 私たちは預言によって、いつの日か、神に忠実に従う者たちがみな、この世を支配する政治権力と対抗させられることを知っています(黙13 章)。私たちはその時まで、どこの国に住んでいようと、神の前に良き市民でいられるためにできることは何でもすべきです。

木曜日:ローマ13:11~14 を読んでください。イエスが戻って来られるのだから、目を覚まして、きちんと行動しなさいと、パウロが信徒に向かってここで述べているのは、なんと興味深いことでしょう。これがほぼ2000年前に書かれたという事実は、関係ありません。私たちは常に、イエスの来臨の近さを予想しながら生活する必要があります。私たちに関する限り、つまり私たちの個人的体験に関する限り、再臨は私たち自身の死の可能性と同じくらい近いのです。私たちが死んで目を閉じるのが来週であろうと40年後であろうと、私たちの眠りが4日間であろうと400年間であろうと、それは私たちに何の違いももたらしません。次に気がついたときは、イエスの再臨だからです。私たちのだれにとっても、死は潜在的に目と鼻の先にいつもあるので、時間は確かに短く、私たちの救いは、初めて信じたときよりも近づいています。

 ローマ人への手紙で、教理に関することは11章までに終わります。12章からは実際的な教えが書かれています。今週は12,13章について学びますが、コリント第一の手紙12章とローマ12章、そしてエフェソ4章は霊の賜物の一覧表と言われています。神さまがわたしたちにいろいろな賜物を与えてくださり、人を通して光を照らすように導かれています。そしてコリント第一の手紙12章に続いて13章で愛について語られています、ローマも同じ流れなのです。賜物をいかに用いて行くか、それは愛と謙遜の心が必要なのです。それについては月曜日の引用文に書かれています。
 火曜日は権威について書かれています。すべての権威は神によって立てられています。なぜなら何かを進めるためにはリーダーシップが必要だからです。それは人々の幸せのために立てられたものであって、権威を与えていただいたものは、神さまから与えられたことと、その権威の目的を忘れてはなりません。
 今週の暗唱聖句で書かれているように「何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」日ごとの信仰生活で、いつも自らに課して行く、祈りではないでしょうか。