第13課 安河内アキラ

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

13課      クリスチャンの生き方      12月30日

今週の聖句  ローマ14章~16章

今週の研究  この結びの部分において、パウロはほかの主題、おそらく彼の中心主題ではないものの、この手紙に含めるだけの重要さを持つ事柄に触れます。それゆえ、私たちにとってそれらも神聖な聖書の一部なのです。
 パウロはどのようにこの手紙を結び、何を記したのでしょうか。そして、彼の後継者(相続人)であるばかりでなく、プロテスタントの先人の後継者である私たちにとって、そこにはどんな真理があるのでしょうか。

火曜日:ローマ14:17~20において、パウロはキリスト教のさまざまな側面を正しく捉えています。食事は大切ですが、偶像にささげられたかもしれない肉の代わりに野菜を食べようとする人の選択について、クリスチャンは言い争うべきではありません。そうではなく、クリスチャンは、聖霊によって与えられる義、平和、喜びに焦点を合わせるべきです。私たちはこの考えを、私たちの教会における現代の食事の問題に、どう適用できるでしょうか。健康のメッセージ、とりわけ食事に関する教えが、どれほど私たちにとって祝福になりえるとしても、すべての人がこの問題を同じように捉えているわけではありません。ですから、私たちはそれらの違いを尊重する必要があります。

水曜日:ローマ14:4~10を読んでください。パウロは何の日について語っているのでしょうか。初代教会の中に、ある日を守るか守らないかを巡って論争があったのでしょうか。どうやらそのようです。パウロが「いろいろな日、月、時節、年」の順守のことでガラテヤのクリスチャンを厳しく非難しているガラテヤ4:9、10に、そのような論争がほのめかされています。第2課で述べたように、教会内のある人たちが、割礼をするとともにモーセの律法のほかの掟も守りなさいと、ガラテヤのクリスチャンを説得していました。パウロは、このような考えがローマの教会にも悪影響を与えるかもしれないと恐れたのです。しかし、たぶんローマにおいて、もはやユダヤの祭りを守る必要がないことをなかなか納得できなかったのは、特にユダヤ人クリスチャンだったでしょう。パウロはここで、次のように言っています。「この件に関しては好きなようにしなさい。重要なのは、あなたとは異なる考え方をする人を裁かないことです」。どうやら、念のために、ユダヤの祭りをいくつか守ることにしたクリスチャンがいたようです。パウロの勧告は、守るべきだと思う人には守らせなさいというものでした。

木曜日:確かに、パウロは「神に対する反逆」(Ⅱテサ2:3)について知っていましたが、彼がどれほど知っていたのかは、聖句に書かれていません。要するに、パウロが、彼や彼が書いたもの、とりわけこの手紙が終末の諸事件の中で果たす役割を多少なりとも知っていたのかどうか、私たちにはわかりません。ある意味で、そのようなことは重要ではありません。本当に重要なのは、プロテスタント主義がこれらの聖句の中から生まれたということであり、またイエスに忠実であろうとする人々が、自分の信仰や献身の根拠となる聖書的土台をそれらの聖句の中にこれまで見いだしてきたし、この世が「驚いてこの獣に服従」(黙13:3)するときでさえ、これからも見いだしていくだろうということなのです。

 6月~9月でガラテヤ人への手紙、そして10月からはローマ人への手紙を学びました。宗教改革から500年を経たこの時に、再び聖書のみに立つわたしたちにとって大切なみことばについて学びました。
 今期の最初にも書きましたが、パウロがこのメッセージを書いた背景を考えずに読むと、まちがった解釈をしてしまいます。水曜日の引用文に今週の学びの背景について詳しく書かれていますから、ぜひそこをお読みください。パウロは「もはやユダヤの祭りを守る必要がないことをなかなか納得できなかったのは、特にユダヤ人クリスチャンだったでしょう。」パウロはこのような人たちへメッセージを書いています。
 そして「重要なのは、あなたとは異なる考え方をする人を裁かないことです」。この部分が、今週の学びの最も重要な部分なのです。パウロの時代と問題の内容は異なりますが、教会の中での様々なできごとの中で考え方が異なったり、またやりたいけれどもいろいろな事情があって、そこまではできない方もいらっしゃるでしょう。できない方には、何かしらの事情があることを忘れてはいけません。そこを配慮せずにまちがいだけを見てしまうことは、たとえそれが正しいことであったとしても、相手を活かすことにはならないのです。そしてその指摘は往々にして自分の考えとは異なるから、そのために言われている場合が多いようにわたしは感じています。
 「だから、平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。」(ローマ14:19) 相手のまちがいを指摘するのではなく、このような心で主にある家族がともに歩むことをパウロは勧めているのです。そのような教会になりたいと願っています。