第2課 平田 和宣

2017年 第4期 「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」 

第2課   論争
 

今週のポイント
 今週の内容は、「ローマの信徒への手紙」を使徒パウロが書いた時代に、何が問題となって論争されていたのか、その問題はどのように解決されるべきだったのかということです。今週は「ローマの信徒への手紙」を開くことはありませんが、先期の「ガラテヤの信徒への手紙」で学んだ大切な点を再確認する内容にもなっていると思います。今の時代の私達にどのような意味があるのかというところまで、今週の学びが深められますように。以下、気付いた点のみを書きます。

「更にまさった契約」
 「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」(ガラ1:11~12)。もともと非常に熱心なユダヤ教の律法主義者だったパウロは、主イエス様の啓示を受けて「更にまさった約束」を受け入れてクリスチャンになりました。「更にまさった」という表現は、勿論、旧約時代から待ち望まれていた救い主イエス様が到来され、私達のための贖いの業を成し遂げて下さり、それを信じ受け入れる者には救いを与えられるということを指します(ガイド12頁参照)。しかしそこにはパウロの体験に裏付けられた喜びの思いが込められていることと思います。パウロは律法主義者として生きる空しさと、「更にまさった約束」を受け入れて生きる喜び、その両方を体験して知っていました。怒り狂う迫害者から愛の宣教者への変容。聖句の文脈からは少しはずれる捉え方かも知れませんが、「更にまさっ」ているという実感が主イエス様の贖いを信じて生きるパウロにはあったのではないでしょうか。

律法主義の罠から身を守るために
 新約時代の記録には律法主義者が度々登場します。一方、旧約時代に目を向けると律法主義どころか、偶像崇拝に支配されるイスラエル・ユダ王国がそこにあります。そして王国は滅亡へ。ひょっとして新約時代の律法主義は旧約時代の偶像崇拝の反省から起きた動きだったのでしょうか。いずれにしてもこのような歴史の流れを見ると、人間は本当に難しい存在なのだなあと思わされます。右に左に逸れがちで、本当の意味で神に従うことがなかなか難しい。
 律法主義の罠から身を守るためには、どうしたら良いのでしょうか。
 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」との問いに対して、主イエス様はこのように答えられました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』…第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」(マタイ22:35~40)。聖書全体の教えは神と人への愛に基づいていると、非常に本質的なことに主イエス様は触れておられます。
 私達は聖書を学ぶときに、「その本質は何か」という問いを決して忘れてはなりません。主イエス様の十字架による贖いが「まさっている」という実感を、更に祈りつつ教えて頂くと共に、祈りながら、この本質を問う姿勢を常に持ち続け、ともすると陥り易い律法主義や形式主義の罠から守られたいです。

十戒は無効?
 この問いで問題になっているのは、恐らく第四条の安息日遵守の戒めではないでしょうか。他の項目は時代が変わっても変更されるはずのない内容です。では、安息日については?創造の記念日にも変更があるはずはありません。そして私自身、幼い時から安息日に教会へ通ってきましたが、神様の存在を心に留め続けるために、安息日はとても大切な日だと思っています。人間は忘れる生き物です。神様の存在を忘れずに生きていくために、創造の記念日・安息日はとても重要な日です。