第2課 安河内アキラ

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

2課     論争    10月14日

暗唱聖句 「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである」   ヨハネ1:17

今週の聖句  ヘブライ8:6、マタイ19:17、黙示録12:17、レビ記23 章、使徒言行録15:1~29、ガラテヤ1:1~12

今週の研究  ローマ書におけるパウロの主要な目的の一つは、このようなユダヤ教からキリスト教への移行に伴うことをユダヤ人と異邦人に理解させる手助けをすることでした。移行には時間がかかるでしょう。イエスを受け入れていた多くのユダヤ人が、これからやって来る大きな変化に対してまだ準備ができていませんでした。

月曜日:旧約聖書の律法を次のようないくつかの種類に分類すると便利です。①道徳律、②礼典律、③民法、④諸規定、⑤健康に関する法。
この分類は、幾分人為的なものです。実際には、これらの種類のいくつかは相互に関係しており、かなり重なり合っています。古代の人はそれらを別個のもの、異なるものとはみなしませんでした。
ほとんどのユダヤ人は、これらの律法がすべて神からのものなので、たぶん一括りに捉えたでしょうが、頭の中で何らかの区別をしていたに違いありません。十戒は神によって直接民に語られました。この事実は、十戒をとりわけ重要なものとして区別させたことでしょう。ほかの律法は、モーセを通して伝えられました。また聖所の儀式は、聖所が機能している間だけ続けることができました。
民事法は、ユダヤ人が独立を失い、他国の文民統制下に置かれたのちは、少なくとも多くの場所において、もはや課しようがありませんでした。儀礼的な掟の多くは、神殿が破壊されたあと、もはや守りようがなく、またメシアがおいでになって以後、多くの型は、その本体に出会ったので、もはや有効ではなくなりました。

火曜日:この論争は決着しました。使徒言行録15:2~12を読んでください。
「神の直接の導きを求めながらも、パウロは、教会員として一致している信者たち、全体にさずけられた権威を、常に重んじる態度を取った。彼は話し合いの必要を感じていた。そして、重要な事が起こると、彼は快くそれを教会にゆだねて、兄弟たちと共に心を合わせて神に知恵を求め、正しい決定を行った」(『希望への光』1431 ページ、『患難から栄光へ』上巻215 ページ)。
パウロは、彼自身の預言的な召命や、イエスがいかに彼を召し、彼に使命を授けられたのかをしばしば語りましたが、興味深いことに、パウロは教会というより大きな体と進んで一緒に働こうとしました。言い換えれば、パウロは召しがどのようなものであれ、自分が教会全体の一部であり、可能な限り教会と一緒に働く必要があることを自覚していたのです。

水曜日:興味深いことに、ペトロは使徒言行録15:10 において、これらの古い律法を負いきれない「軛くびき」と表現しています。これらの律法を制定された主が、御自分の民にとって律法をくびきになさるでしょうか。どうしてもそうは思えません。そうではなく、ある指導者たちが長年の間に、彼らの言い伝えによって律法の多くを本来の祝福から重荷に変えてしまったのです。会議は異邦人をこのような重荷から免れさせようとしました。
 もう一つ注目すべきは、異邦人は十戒に従う必要がないと言われてもいなければ、従うことが疑問視されてもいないという点です。つまり、この会議が、血は食べてはならないが、姦淫や殺人などを禁じた戒めは無視しても構わないと主張したなどと想像できるでしょうか。
  使徒言行録15:20、29 を読んでください。ある規則が異邦人信徒に課せられることになりました。ユダヤ人信徒は、自分たちの規則と伝統を異邦人に押しつけるべきではありませんでしたが、一方でこの会議は、異邦人が、イエスにあって彼らと結ばれているユダヤ人が不快に思うことを決してしないように望みました。そこで使徒と長老たちは、偶像にささげられた肉、血、絞め殺した動物の肉、みだらな行いを避けるよう、異邦人信徒に手紙で指示することに同意したのです。安息日の順守が具体的に述べられていないので、安息日は異邦人のためのものではないに違いない、と言う人たちがいます。しかし言うまでもなく、うそをつくことや殺人を禁じた戒めにも具体的に触れられていません。ですから、そのような主張は無意味です。

先週は、ローマ信徒への手紙が書かれた背景について学びました。今週はガラテヤやローマの手紙で起こっている問題について学びます。それは以前も書かせていた だきましたが、キリスト教がユダヤの一地方の宗教から世界の宗教へと脱皮するために必要なことでした。キリストが昇天後、弟子たちは「全世界へ出て行くように」と命令に従い出て行きました。いろいろな見方ができますが、わたしはそしてとても速いスピードで当時に地中海沿岸にキリスト教は広がって行きました。急速な広がりに恐れを感じたローマ政府はキリスト教を迫害して行くのでした。
 そのような中で、教会の中でも混乱がありました。キリスト教の教えを広めていく中で、何を信じていただくか、そして同時にユダヤ的な文化や伝統をどこまで改宗者に求めて行くかでした。もしユダヤ的なことを改宗の条件としていたら、キリスト教はここまで世界には広まらなかったことでしょう。
 今日のわたしたちに、このことを置き換えてみましょう。わたしは子どもの時から約60年間教会に通ってきました。その間に、いろいろな新しい波が教会に襲ってきました。たとえばわたしが中学校の時にくらいでしょうか。今から40~50年前になります。当時の日本社会でフォークソングがブームとなり、それにともなってフォーク讃美歌が誕生し、教会の集会でも歌われるようになりました。けれども、教会でギターが演奏されること自体に反対をして、このような讃 美歌を礼拝では歌うべきで はないという考えの方も多くいました。今日では、フォーク讃美歌どころか、いろいろな讃美がなされていますね。
 なんでこんなことを書いたかと申しますと、信仰の本質にかかわることとは、いろいろ意見があっても聖書の原則にしっかりと立たなければなりませんが、伝えるための手段については、その地域の文化の特性など多様性を活かすことが大切ではないでしょうか。目的は福音が一人でも多くの方々に伝わって行くことですから。