第6課 聴覚しょうがい者用:島田 隼人

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第6課         アダムとイエス      島田 隼人

1.今週のテーマ
 アダムとエバが神さまから背を向けたため、愛によって結ばれていた神さまとの正しい関係がこわれてしまいました。この、こわれてしまった関係を十字架の死によって、イエス・キリストは回復してくださいました。もう一度、神さまと結ばれるチャンスをイエス・キリストはご自分の命をかけて与えてくださったのです。信仰によってイエス・キリストを自分の救い主として受け入れることによって、私たちは神さまとの間に平和を得ることができるのです。

2.信仰によって義とされる(日)、まだ罪人であった時(月)
 イエスさまの完全な人生と、私たちの罪の人生が交換(こうかん)できる!
この喜びの福音を知った時に、私たちはイエスさまに心から「ありがとうございます!」、「申し訳ないです!」などの気持ちになるのではないでしょうか。イエスさまを救い主として受け入れる信仰(心)によって、私たちは義とされます。「義」とされるとは、神さまと正しい関係になるということです。
 「義」という漢字は、羊+我です。羊であるイエスさまが我々を覆(おお)ってくださるのです。イエスさまを着ることによって、試練の中にあっても忍耐する力、練達された品性、そして大いなる希望が与えられるのです。
 神さまは、私たち一人一人にイエスさまという最高のプレゼントを受けとって、着てほしいと望んでおられます。「わたしたちがまだ罪人であった時」に神さまが救いの道を与えてくださったのです。「自分で清くなってから帰っておいで!」ではなく、「わたしが与える愛する独り子を着て、安心して帰っておいで!」なのです。
 
3.罪による死(火)、アダムからモーセまで(水)
 神さまは、愛する人間を永遠に生きるように創造(そうぞう)されました。しかし、罪の侵入によって、敵である「死」がこの世に入ってきたのです。
「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」(ローマの信徒への手紙6章23節)
 罪人である私たちが支払うべき「死」を、イエス・キリストは十字架において支払ってくださいました。イエスさまの十字架での最後の言葉は、ギリシャ語で「テテレスタイ」といます。テテレスタイとは会計用語で、「全て支払われた」という意味があります。つまり、私たちが支払うべき「死」は全てイエスさまによって支払われたのです。この福音(グッドニュース)を、信仰によって受け入れることによって「義」とされるのです。
 十字架の死より三日後にイエスさまは復活されました。「死」の墓から出て来られたのです。死の墓から解放してくださる「鍵」を持っておられるイエスさまと共に生きたいと思います。
 考えてみましょう。私たちは心からイエスさまが自分の人生に必要だと思っているでしょうか?神さまからの大切なプレゼントである独り子イエスさまを感謝と喜びを持って受け入れているでしょうか?イエスさまと共に生きたいと願っているでしょうか?
 イエスさまが私に「必要」だと気づかせるために、神さまは「律法」をお与えになりました。神さまの律法(要求・品性)は、私たちを落ち込ませるのではなく、救い主へと導くことを確認いたしましょう。

4.「第二のアダム」イエス(木)、さらなる研究(金)
 アダムによって「死」が、第二のアダム(イエス・キリスト)によって「命」がこの世に入りました。アダムが木の実を「自ら選んで」食べたように、私たち一人一人にも神さまからの賜物(ギフト)を受けとるか否かの選択が与えられています。神さまは、私たちが喜んで手を伸ばし、信仰によってイエス・キリストを受け入れることを望んでおられるのです。