第7課 聴覚しょうがい者用:浦島 智加男

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第7課         罪に勝つ      浦島 智加男

初めに
 誰でも、罪を犯したり、悪い行動や、悪しき思いをしたくはありません。できれば、いつも穏やかで、心も平安で、神さまと人を愛したいという願いはあります。パウロがロマ書の8章で述べているように、善をしたいという意志はあるが、それと裏腹に、表に出てくる言葉や行動は、願いとは反対のことばかりでます。「死に定められたこの体から誰がわたしを救ってくれるのでしょうか」と誰もがうめいています。 
 罪は、人間の性質、思想の中に深く入り込んでいます。もっと言うなら、親から受け継いだDNA(遺伝子)にも、根付いています。ですから、修行したり、心の鍛錬をしたりして、人間の努力で取り除くことは出来ません。イエス様のお力に頼るしかありません。

1、罪が増したところ
 アダムから、6千年以上人類の歴史は続いてきました。人間の罪は、文化や科学、哲学、心理学などが発達してきても罪の問題を解決する方向には進んでいきませんでした。様々な宗教も出てきました。しかし、人間の持つ罪は少なくなるどころか、かえって罪の性質、罪の力が時代を経るごとに強くなってきています。聖書の預言どおりです。
 2千年前、キリストがお出でになって、罪の贖いを成し遂げてくださらなかったら、人類は当の昔に滅びていたでしょう。実際、キリストがお出でになる直前も世界は、愛が冷え、世界が自滅の危機に瀕して(ひとりでに滅びる状態)いたのです。イエス様が愛を説かれ、実践されたために、罪の力を無力にする方法を実行されたお蔭で、今日まで人類は、保存されてきたのです。そして、年代を経るごとに、聖書の理解も深まり、罪に勝利する道も開かれ続けています。

2、 罪が支配するとき
 罪に打ち勝つ道や方法は、神学が発展し、聖書の解釈もより深くなって、神の恵みも増し加わったといえるのでしょう。しかし、折角、増して下った神の恵みを、私たちが十分にいただき、生活の中にとりいれていかなければ、罪に打ち勝ち、聖よめの方向に進んでいきません。
 サタンは、今なお生きています。できれば、わたしたちを誘惑して、罪を犯す機会を多く作り、罪が私の信仰生活を破壊することを狙っています。イエス様をみつめることが少ないと、容易に罪支配される時代でもあります。
 
3、 律法の下ではなく、恵みの下に              
 終末時代に生かされている私たちに、恵みが増し加えられなければ、この変動の激しさに私たちの信仰も対応できません。人々の愛は急速に冷えています。平和な日本でさえ、殺人が毎日のように報道され、大人も子供も、学校・職場・近燐の人間関係でいじめ(セクハラ・パワハラ)が増え続けています。事故のニュースもとどまるところを知りません。世の終わりの兆候(しるし)が急速に進んでいるのでしょう。
 このような時に、もう一度、信仰の原点である、「信仰による義認」をガラテヤ書・ロマ書を学ぶことができることを感謝しましょう。罪から解放されて、神の恵みのもとにとどまり続けること、これを感謝すことこそ終末に備えることにほかなりません。

4、 罪か従順か
 奴隷制度がどういうものかは、私たちにはなじみがありません。私は、数年前、アフリカのタンザニアにある奴隷が売買されていた「ストーンタウン」という島に行き、そこで永年繰り返されていた実態の歴史と悲惨さを学ぶ機会がありました。なんとも、おぞましさと悲しさが今も心に残っています。
 私たちは、罪の奴隷という言葉を聞いても、私自身が奴隷という例えが理解できていないことが多いのではないでしょうか。ですから、イエス様が私たちを、罪の奴隷から解放してくださった喜びは、ついぞあじわっていないのではと思います。したがって、感謝も少ないのは無理がないかもしれません。