第10課 平本 光

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第10課         約束の子     

 
はじめに
ローマの信徒への手紙9章から11章においてパウロは、教会が解決しなければならないもっとも困難な問題であるユダヤ人問題を取り扱おうとしています。今週の教課は、9章からの学びです。

今週のポイント
1.悲劇
 パウロは9-11章を耐えられないほどの悲しみをもって記しています。
パウロは自分がユダヤ人であって、もし自分の同胞をイエス・キリストに導くことができるならば、そのために自分の生命を喜んでささげようと決意していました。ユダヤ人はイエスを拒否して十字架につけた国民であることは事実です。しかし、全てのユダヤ人ではありません。イエスの弟子たちはユダヤ人ですがイエスを信じ受け入れています。
 ユダヤ人の歴史には常に神の選択の過程がありました。この選択は人の努力とは無関係でした。それは選ばれた者が権利として獲得したものではなく、神の知恵と力の働きによるものでした。民全体が真の選ばれた民ではなく、常に忠実な少数の人々でした。すべての者が神を否定した時でさえも、神に忠実な残りの民が居ました。それはエリヤの時代に、民が偶像の神バアルに従っていったときでも、七千人の者は、神に忠実に留まっていました。しかし、神がある者を選び、他の者を拒絶するということは、はたして公平なことなのでしょうか。神の選びは正しく道理にかない、平等で公平であると私たちは理解し納得することができるのでしょうか。私たちの疑問に答えを与えてくれるのは聖書の御言葉です。
 どの出来事においても、イスラエルの民が拒絶されることは冷酷で無意味なことではありませんでした。パウロは、神が望まれることを、どの人にもなされると考えていました。そして人間の側は自由意志をもっています。神のなさることを受け入れることも拒むこともできるのです。ユダヤ人の根本的な誤りは、人間的努力、律法への服従によって、神との正しい関係に入ろうと、自らの力で救いを獲得しようと試みたことでした。異邦人は、神の提供に全人格的信頼をもって素直に受け入れたのです。パウロはユダヤ人に、神への唯一の道は信仰の道であり、人間の業績はどこへも導かないことに気づいてほしかったのです。
 神の与えてくださる示しを聞くまで、誰も信仰をもつことができません。ユダヤ人に対して、示しはすでになされていたのです。彼らは律法への服従による人間の業績の道に固執していました。彼らは、預言者たちの語った神への道は信仰の道であることを悟らなかったのです。

2. 神の計画
パウロの論理は要約すると、つぎのようになります。
(1) イスラエルは選ばれた民である。
(2) イスラエルの一員であることは血縁関係や子孫である以上の意味をもっている。
常に神からの選びがあり、国民の最も素晴らしいとされるのは、いつも忠実な残りの者である。
(3) 神によるこの選びは、神が望むことを行なう権利をもっておられるので、不公平ではない。
(4) 神はユダヤ人の心をかたくなにされたが、神はそこで、異邦人に扉を開く機会とされた。
(5) イスラエルの誤りは律法に根ざした人間的業績に依存していたこと。神に近づくのに必要なことは、全人格的信頼をもって心から従うことである。

ディスカッションのテーマ
・忠実な残りの民であるために、神様が望まれることを選ぶにはあなたに何が必要ですか。