第7課 廣田 信之

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第7課           罪に勝つ       

 
今週は、信仰による救いのもう一つの側面、誤解されやすい側面―イエスによって救われた者は、その生活において罪に勝利できるという約束―に目を向けます。(教課46ページ)。通常私たちクリスチャンはこの歩みを聖化の歩みとして受け止めています。

日曜日: 罪が増したところ
パウロはローマ5:20で「・・・しかし、罪が増したところには、恵みはなおいっそう満ちあふれました」。そして、ローマ6:1「では、どういうことになるのか。恵みが増すようにと、罪の中に留まるべきだろうか。」、と問いかけました。
 罪の増し加わるところには、恵みも増し加わる。これは、ある無責任で、不誠実なもの達の間で、人は、恵みが増し加わるために罪を犯し続けても良いのではないか、との言い訳ともとれる問いかけに、パウロはローマ6:2「決してそうではない」、(新共同訳)。「断じてそうではない」、(口語訳)と激しく反応しています。
 パウロはローマ6:4(新改訳)で、「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」 
 この歩みとは、神様との継続的な交わりのプロセスであり、私たちの歩みの方向性を示すものです。新しい旅路の始まりとしてクリスチャン生活の開始を描いています。

月曜日: 罪が支配するとき
 「支配」と訳されているギリシャ語の文字通りの意味は、「王になる」、「王として機能する」です。私たちの心の中の王座は誰が占めているでしょうか。「私」でしょうか。イエスさまも地上において誘惑をお受けになられましたように、私たちはなおさらです。新しく生まれたわたしたちクリスチャンでも、どん欲に負け、さまざまな罪の誘惑と魅力に引き込まれることがあります。私たちの心の王座にイエスさまを「王」として迎え入れ、キリストの恵みの中にしっかり根をおろす信仰生活でありたいものです。

火曜日: 律法の下ではなく、恵みの下に
 十戒の第4条を含む神の律法は、神の愛のご品性ですから永遠です。
パウロはローマ6:14で「・・・あなたがたは律法の下ではなく、恵みの下にいるのです」といいました。「律法の下」と言うところを現代訳聖書は「律法の奴隷ではなく」と訳しています。「律法の下で生きている人は、罪に支配されるだろうということです。それとは対照的に、恵みの下に生きている人は罪に勝利します。なぜなら、律法がその人の心に書きつけられており、神の霊が彼らの歩みを導くことを任されているからです。」教課49ページ。
 今やキリストとの正しい生きた関係に留まっている時に、愛の律法に沿った「霊の実」を実らせることが出来る。たとい、不十分であってもキリストにおいてすでに罪が赦され、義と認められているので、安全である。「恵みの下」とは「イエス・キリストの下」と言うことであり、まことの「ぶどうの木」であるイエスさまに日々つながることによって、罪の奴隷から解放され、感謝と喜びの信仰生活に入ることが出来るのです。

木曜日: 罪からの自由
パウロは人間の弱さ、罪深さを誰よりも理解していたのではないかと思います。彼はクリスチャンを迫害することを通して、イエス・キリストに敵対していたのです。
 彼は、堕落した人間の性質が自己裁量に任される時、どのようなことをしでかすかしっていました。ココでもパウロは選択の力、選択の重要性を強調しています。 
 私たちはイエス様の十字架の死によって贖われ、その愛の応答として、また聖霊の実として罪を嫌い、神の御力によって罪に勝利できるよう、祈る必要があります。