第9課 池増 信男

2017年第4期「信仰のみによる救いーローマの信徒への手紙」

第9課          罪に定められることはない   

 
今週のガイドの学びはローマ8章の前半になります。この箇所は7章24節の「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。」との問いに対する答えになっています。その答えは、「キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められること」がないばかりか、「命をもたらす霊の法則」によって、「罪と死との法則から解放」されているというものです。

日曜日:キリスト・イエスに結ばれている
かつてわたしたちは神とキリストとは無縁であり、肉のおもむくままに生きておりました。その結果罪に支配され、死に至る実を結んでいたのです。肉の思いがわたしたちの主人でした。しかし、霊の導きによりキリストに出会い、キリストに心をあけわたして、キリストを主と仰ぐ歩みを始めたのです。その結果、キリストに結ばれた者になりました。キリストに結ばれている人は幸いな人です。なぜならば、キリストの義と命が、わたしたちの罪と死と交換されているからです。「これまで律法違反者として罪に定められていたその人が、今や神の目に完全な者」(ガイド61頁)として認められるのです。これは福音です。すべての人に知っていただきたい、またわたしたちが伝えたい良き知らせです。

月曜日:律法がなしえないこと
ローマ7章で指摘されているように律法は正しい道を指し示し、人が罪を犯していることを明らかにしますが(ローマ7:7、10、6:23参照)、罪深い人間を罪から救い出し、正しい道に歩ませる力はありません。それで神は律法が果たせなかったことをなされたのです。キリストが人として罪のない生涯をおくられ、十字架にてご自身の命をささげられたことによって、わたしたちの罪を贖われました。罪を贖われた者は、神の霊に導かれる歩みを始めます。その結果として、律法の要求をみたすようになるのです。

火曜日:肉か霊か
人は肉に従って歩むか、それとも霊に従って歩むかいずれか一つを選ばなければなりません。両者の間には大きな差があります。肉に従う歩みは神に敵対し、律法への不従順であり、その行き着くところは死です。一方、霊に従う歩みは神との一致であり、その行き着くところは平和と命です。生まれつきの、肉に支配されている人は霊に従って歩むことはできないし、神に喜ばれる事もできません。肉に従う自己が死んで、新たに生まれ変わって、霊に生きる者へとならなければなりません。もちろんこれは神によらなければできない経験です。律法を守り行う事によってできる経験ではないのです。

水曜日:あなたの内におられるキリスト
霊の働きが解き明かされております。神の霊、キリストの霊、これは聖霊のことです。聖霊がわたしたちに内住される時、わたしたちはキリストにつながり、霊の力を体験いたします。キリストが死から復活されたように、肉に支配されて死んでいたわたしたちも霊の命に復活し、死ぬべき体も朽ちない体に造り変えられます。肉ではなく、わたしたちを生かす命の霊に支配される歩みをしたいものです。

木曜日:神の子とする霊
わたしたちは肉に従った歩みをしている間は肉の奴隷でありました。しかし今は聖霊を受けて神の子とされています。幼児が父親を「おとうさん」、「パパ」と呼びかけるように、神様を「お父さん」と、信頼の情をいだいて呼ぶことができるのです。神様とわたしたちとの関係が他の人格的関係以上の関係になります。さらには、神の家族の一員となりますので、相続人として、父から素晴らしい財産を受け取るのです。もちろんこれは、キリストの死によって与えられるものです。主に感謝です。