第13課 聴覚しょうがい者用:武田 将弥

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第13課         管理者の務めの結果       武田 将弥
                               

1・『今週のテーマ』
 今期は「スチュワードシップ(管理者の務め)」について学んできました。自分に与えられている環境やタラント、財産や置かれている状態などは、全て神様から貸し与えられているものであり、それらを管理することの大事さと、管理することを通して自分の成長に繋がることを知りました。クリスチャンは自分の生き方を通して、キリスト教のことを詳しく知らない人たちにも、良い影響と印象を持っていただくことが期待されています。世の中の人達がクリスチャンを見た時に(イエス様を信じている人達って素敵だな。自分もそうなりたいな。)と少しでも感じてもらうことです。ですから私たちは常に神様のことを第一に考えながら行動し、もしも神様に興味・関心を持って人が近寄って来られたら、いつでも対応できるよう、祈りながら備えておくことが重要です。

2・『管理者の務めと信心(日)』
 信心深い人達にみられる共通した特徴は、いつも神様に対する献身と考えで行動し、聖なる生活を送るよう心掛けるようになります。実はこの理由はとても明白で、信心深くなるということはイエス様に似てくるということだからです。イエス様こそ私たちの目指す目的であり模範です。ですから私たちは日々の祈りのなかで、主に似た者として成長・変化させていただくように求めていきます。管理者となるということには奥深い意味があり、イエス様を目指すということです。ですから優れた管理者になるためには、神様の恵みによってイエス様に似た者として、成長させていただく必要があります。イエス様こそ宇宙一の完璧な管理者なので、主に似てくることが多くなれば、自然と無理なく管理者としての生活が送れるようになってきます。
 ヨブ記のヨブは神様も認めるほどの信心深い生活をおくっていましたが、ある日サタンのせいで彼に恐ろしい試練が次々と襲い掛かってきました。しかし彼は順風の時だけではなく、逆境の時であっても、神様を畏れ敬う信心深さが消えてしまうことはありませんでした。彼はイエス様のように完全だった訳ではなく、罪を背負った人間でした。しかしヨブは苦しみで揺さぶられながらも信心深くあり続けられたのは、日頃からの祈りの生活の賜物でした。イエス様のご性質を強く反映していたということです。我々と同じ人間だったヨブがこのように耐えられたということは、私たちにも可能性があるということです。信心深くなるということはイエス様に似てくるという意味なので、考え方や生き方、人や物の扱い方が今までとは変わり、言動すべてに聖なる性質がみられてきます。
 

3・『満足(月)』
 中国の老子という人が「足るを知る者は富む」という有名な言葉を残しています。聖書にも「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である(Ⅰテモテ6:6)」や「あなたは隣人の持ち物を欲してはならない(十戒)」という聖句があるように、いま与えられている自分の環境に満足することの大切さは、世界中で教えられています。人間の欲望(貪欲)は果てしないので、物の豊かさを求めていってもキリがありません。むしろクリスチャンは物質的な豊かさを求めるのではなく、精神的な豊かさを求めることが重要です。上辺を整えることは大事ですが、内面の美しさを充実させることは最も大事です。
ちなみに才能や能力と、信心(信仰・愛・心)はまったく別物です。優れた能力を持っていても、その人が優れた人格者かどうかは別なのです。例えばイスカリオテのユダは頭が良く多くの才能がありましたが、心の内側には他人を見下す高慢な心がありました。逆に貧しいのに精一杯の献金をしたやもめは、地味で目立たない存在でしたが、主のみ前で立派な信仰を示しました。神様が注目しておられるのは才能や能力ではなく、その人に根付いた聖なる品性の部分なのです。

4・『信頼(火)』『私たちの影響力(水)』
 「心を尽くして主を信頼する(箴言3:5)」とはどういうことでしょうか。「信頼」とは、相手のことを信じて任せる気持ちになることです。しかし「心を尽くして信頼する」となると、これは簡単なようで難しいかもしれません。聖書に登場する偉大な先輩たちも、神様に信頼することの重要さは理解していましたが、信じて待ち続けることに苦労しています。有名なアブラハム夫婦も神様の約束を待ち続ける途中で、自らの考えと判断で余計なことをしてしまいました。神様に信頼してお任せするというのは、罪のある人間にとって忍耐が必要かもしれません。しかし忍耐・練達・希望という聖句があるように、神様への信頼を重ねることは、品性を培うに良い訓練・経験といえるかもしれません。
 クリスチャンの品性が現われてくるということは、イエス様の光が内側から溢れ出てきているということです。この光こそ、暗い世の中を照らして希望を与える、愛と真理の輝きです。私たちは主に結ばれて、はじめて光となることが出来ます。クリスチャンとしての自覚を持って人々の中で生活することで、周囲に影響を与えることができるのです。

5・『聞きたい(聞きたくない)言葉(木)』『さらなる研究(金)』
 私たちの住むこの地上は仮の住まいであり、最終目標の地は天国です。しかしイエス様の再臨があるまでは地上生活が続きます。ですから仮住まいだからといって、この地上生活をないがしろにする訳にはいきません。近い将来、イエス様がお迎えに参られた時、自分を見た主人に「忠実な良い僕だ、よくやった!」と喜ばれるのか「怠け者の悪い僕だな…」とガッカリされるのかは、今の生き方にかかっています。管理者の務めとは、十戒(神)の精神である「神を愛し、隣人を愛しなさい」という掟を守って人生を送ることです。この掟については、神様の恵みによってイエス・キリストのご品性を受けることによって、無理なく自然な形で出来るようになります。なぜなら神の子であるイエス様は、神様の言葉と調和したまま、何事でも実行することが出来るお方だからです。よってこのお方に似れば似るほど、我々も信仰をもって、自然体で実行が出来るようになってきます。ですから神に喜ばれる管理者となるには、聖霊の助けを祈ることが重要になります。
今期はスチュワードシップ(管理者)について学びました。献金・奉仕・洗礼・礼拝などはどれも素晴らしいですが、そこにイエス様と自分の心が入っていなければ意味がありません。神に喜ばれる最高の管理者となるには、イエス様を模範とすることです。キリストの精神を受け継いだ者は、生き方そのものが変わり、考えも行動も全て意味のあるものに変化します。神様に対して喜ばれる最高の捧げ物は「自分自身」です。イエス様は自分の全てを、神様と人間たちの為に捧げ尽くしました。管理者の務め(目的)はまさに「イエス様のようになって生きる」という結論になるのです。イエス様を切に祈り求めて下さい。