第2課 聴覚しょうがい者用:武田 将弥

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第2課     見て、欲して、手に入れる       

1・『今週のテーマ』
 私たちは限りある地上に住んでいますので、肉体を保つためにはどうしても衣食住が必要になります。実際に聖書にも「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る1つ1つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と食べ物を否定していません。エデンの園では沢山の果物や居心地の良い環境が、神様によって整えられていました。やはり肉体を維持していくためには物質も必要なのです。しかし人間は罪が入り込んだために、これまでの「神様中心」の生き方から、エゴ丸出しの「自分中心」という価値観へと変わってしまいました。主は罪人になった状態をご覧になられて「お前(人間)は生涯、食べ物を得ようと苦しむ(創世記3:17)」ようになるだろうと予期されました。つまり罪の影響で肉体を維持するための食べ物(物質)を追い求めることに夢中になってしまうだろうと注意されたのです。もちろんお金や食べ物は大切ですが、それ以上に大事なものは「命(真理)」です。たとえ全世界を自分のものに出来たとしても、死んでしまったら何の意味もないでしょう?とイエス様が言われているとおりです。しかしサタンは人間が物欲に弱いことを知っていますので、この世は楽しくて最高の場所のように錯覚させて、この世を創造された本人(神様)よりも、創られた地上に興味関心を向けさせるように頑張っています。
「物」や「お金儲け」が悪いのではありません。働いてお給料を得るのは当然のことです。悪いのはこれらに夢中になってしまう人間の「貪欲(罪)の思い」が悪いのです。

2・『繁栄の福音(日)』『曇らされた霊的視力(月)』
 神様を信じれば裕福で幸せになれるという、現世利益のような捉え方を「繁栄の福音」と呼びます。しかしこの考え方は神様の真理を正しく捉えていません。確かに神様は人間に祝福をお与えくださるお方です。しかし天の神様は親や教師のような側面もお持ちです。ですから人を甘やかすことはなく、かえって「わが子よ、主の諭しを拒むな。主の懲らしめを避けるな。かわいい息子を懲らしめる父のように、主は愛する者を懲らしめられる(箴言3:11~12)」のです。神様を信じていても、自分にとって嫌だと感じることは出てきますが、長い目で見ると実はそれが自分のために良かったと後で分かるのが、神様の本当の祝福と導きなのです。神様を忠実に信じていても貧しい人はいますし、主を信じていないのに裕福な人も存在します。ですから物質やお金の持っている量で神様との愛を推し測るのではなく、精神的にどうなのかを考えるべきです。
そして聖書の大原則ですが「恵む者は恵まれる」という愛の法則です。「気前のよい人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う(箴言11:25)」とあるように、自然界の法則を定めた神様は、他を生かすことによって、結果的に自分を生かすことになることを教えてくれています。自分のことだけを考えて行動すると一時的には裕福になりますが、最終的には貧しさに陥ります。世の中の考え方と真実の姿は間逆なので注意が必要です。
 人間は「自分が心を向けたものに仕える」という性質を持った存在です。例えば「この世はお金が全てだ!」と金銭に信頼(信仰)を置く者がいたとします。一見するとこの人はお金を支配しているように映るかもしれません。しかし実際はお金に支配されているのです。こういう人は何でもお金で解決しようとしますし、お金が無いと自分はみじめで無力になると考えますので、お金を失うことを非常に恐れて、一生懸命に金銭を集めるようになります。しかしこれではお金の奴隷であり、全然自由な状態ではありません。お金を支配しているつもりで、実はお金の奴隷になっている訳ですから、これではキリストが言われた「真理はあなたを自由にする」とは真逆の状態です。お金や物は必ず無くなりますが神様は永遠です。やがて消えてしまう物に信頼を置くのではなく、永遠に存在し続けるお方に信頼(信仰)を置くことの出来る、曇りのない霊的な視力を持ち続けたいものです。

3・『貪欲の段階(火)』『貪欲-物を自分の好きなようにすること(水)』
 私たちの心はまるで畑のようです。思ったり考えたりすることが種となり、やがて自分の内で芽が大きくなり、最終的には行動にあらわれます。このように全ては自分の心から始まるのです。例えばエバが誘惑に負けたのは、巧みなサタンの話術と説明に心が影響を受けてしまったからでした。「見て、欲して、手に入れる」という段階を経て、罪を犯してしまったのです。私だけは大丈夫!と安心して断言できる人は一人もいないほど貪欲は身近です。たとえば夜中に料理やデザートを美味しそうに紹介する情報を目にしてしまったらどうでしょうか?おそらく心が影響を受けて (晩ご飯食べたのにお腹が減ってきたなぁ…何か食べようかな)と殆どの人が思ってしまうのではないでしょうか。あるいは素敵な服や装飾品、他人の豪華な自宅や生活ぶりを見てそう感じるかもしれません。もっというと、人は物ではありませんが、素敵な人に出会って盲目的な恋をした状態もこれに似ているかもしれません。何に対してどう反応するかは個人差があります。しかしオモチャを見て駄々をこねて欲しがる子供の様に、一度(うわ~これ欲しい!)と火の着いた心を消すのは簡単ではありません。それを手に入れたい気持ちで一杯になってしまい、周囲が見えなくなります。イスカリオテのユダも金銭欲や様々な貪欲のせいで、自分の気持ち(欲望)を我慢できず、悪いことと知っていたのに、自分の先生であるイエス様を裏切ったのです。ユダの体験は、人間が貪欲をそのまま野放しにすると、やがてはとんでもない結果を生み出してしまうという我々への教訓です。

4・『自制(木)』『さらなる研究(金)』
 「自制」とは自分の欲望や感情を抑えることです。聖書は自制について、クリスチャンの大切な品性として何度も取り上げられています。聖書の原則としては「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身『わたしは決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしはしない』と言われました(ヘブライ13:5)」とあるように、神様が共におられることに信頼を置きつつ、人間の欲望にはキリがないので、欲深くならずに現在の与えられている収入や環境で満足するという「足ることを知る」生き方が示されています。しかし現実問題として人間には感情と欲望が存在しています。生きている限りこれらを消そうとしても無くなることはありません。ですから湧き上がるこれらの心と、どうやって付き合っていくかがポイントになります。欲望に火が着くとそれを鎮火させるのは至難の業です。そこで神様による助けが必要不可欠となります。自分の品性をキリストに似た者として生まれ変わらせていただくことで、無理なく自制が出来るようにさせてくださいます。その為には自分の罪深さを見つめ「こんな自分は嫌だ。本気で変わりたい。神様どうか哀れな私を助けてください!」と神様の必要性を真剣に認めて祈る、悔い改めが鍵です。それ以外に自制を成功させる方法はありません。祈りましょう。