第3課 聴覚しょうがい者用:柳 鍾鉉

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第2課             神か富か       

今週は神に仕えるか富に仕えるかの大切なテーマを扱います。誰も富に仕えるとは言わないと思いますが、事実上神よりも富を神として仕えている人が多いことは否定できません。万物を造られた創造主であるキリストは私たち一人お一人が富ではなく神を選択し仕える信仰の決断を求めておられます。この学びを通して、私たちが心からもう一度神の言葉に立ち、自分が仕えるべき対象が何であるかをはっきり知るようにと願います。

日曜日:創造主なるキリスト
聖書はイエス・キリストを創造主として記しています(創世記1:1;ヘブライ1:1;ヨハネ1:1、ピリピ2:6参照)。人間の肉眼で見える物質界を造られたのは主イエス・キリストです。この地球もキリストがお造りになった物の一つに過ぎません。私たちが主イエス・キリストを創造主として認め受け入れることによって神から造られた物質との正しい関わりを持つことができるようになります。

月曜日:神の子、人の子
主イエス・キリストは二つの性質を完全にもっておられる方であることを聖書は示しています。つまり、創造主なる神であり、被造物である人間であります。これは神秘的なもので人間の理解を越える所にあります。「ここには一つの事に関して二つの神秘があるー神の結合の中に複数の位格が存在することと、イエスという位格の中に神性と人性が融合していることである。・・・・・小説の中にも、受肉というこの真理ほど奇想天外なものはない」(J・I・パッカー『神を知る』53ページ、英文)。罪を冒し神から遠く離れた人間は真の神のご品性を忘れ、冷酷でかつ厳しい方だと思えるようになりました。主イエスが地上に人の子として生まれ来られた目的は人間に真の神を正しく現すためだったのです。
サタンはキリストを通して決して神を見ることがないように、私たち人間を物質の奴隷にすることで物に魂が奪われるようにありとあらゆる手段を用いるのです。

火曜日:贖い主なるキリスト
イエス・キリストは贖い主として天から地上に降りて来られました。最初の人類アダムとエバは罪を犯して、自分たちの力では永遠に支払えない負債を抱えるようになったのです。罪の支払う報酬は死である(ローマ6:23)とあるように、罪を犯したアダムとエバは死ぬ存在となり、永遠に滅びる哀れな運命となってしまいました。誰かがその罪の負債を支払わない限り、人類には希望がなく罪の奴隷として滅びるしかありませんでした。しかし、主イエスはご自分の命をもって私たちが抱える罪の負債を支払ってくださいました。イエスは十字架上で「成し遂げられた」と宣言されたのは、まさに人類が抱えた罪の負債が完全に支払われた瞬間だったのです。

水曜日:熱情の神
聖書はキリストを熱情の神として示しています。キリストは創造主や贖い主としてご自分の手によって造られたもの一つも失うことなくご自分の命の代価を払うまでして最後まで取り返す情熱の神です。そのような我らの主は私たちに礼拝を求めるのは当然なことですし、私たちは贖われたものとしてキリストを神として拝むのは特権です。「あなたはほかの神を拝んではならない。主はその名を熱情といい、熱情の神である」(出34:14)。

木曜日:真の所有権
私たちは神に創造され、贖われた神の所有物です。つまり、私たちが所有しているものを含めて私たち全存在が神のものです。神が所有しているものは私たちだけではなく、全宇宙を含みます(ヨブ38:4ー11)。すべてを創造し、愛をもって支配しておられる主の主、王の王である神が私たち一人お一人を良き管理者として選び立ててくださいました。選ばれ立てられた主の忠実な管理者としてその責務を怠ることなく遂行してまいりたいと思います。主がご再臨なさる時、そのような忠実な管理者に向かって主は次のような言葉を掛けてくださいます。「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ25:23)。

何よりもまず、神の国と界の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる(マタイ6:33)。主の再臨が間近に迫っている昨今ですが、私たち一人お一人の信仰が揺るがないものになり、主に喜ばれる信仰をもって歩んでいただくことを祈ります。