第6課 安河内アキラ

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第6課           管理者の印         2月10日

暗唱聖句
「こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです」Ⅰコリント4:1、2
                                           
今週の聖句  ヘブライ11:8~12、ローマ4:13、18~21、マタイ6:24、ヘブライ9:14、Ⅰヨハネ5:2、3、ルカ16:10~12

今週の研究  私たちは今週、神の管理者の商標名となる品性の特徴を明らかにすることに目を向けます。これらの特徴は、イエスの再臨を期待し、彼の真理の忠実な管理者として私たちに託された働きをするよう、私たちを動機づけます。それぞれの特徴は、失われた者を見つけ出して救うためにおいでになったお方と私たちが持つことのできる関係、深まりゆく関係をあらわしています。

月曜日:私たちは、神の名が「熱情」(出34:14)を意味することを知っているのですから、はっきりと忠誠を求められています。「熱情」の神に対する忠誠は、愛による忠誠です。信仰の戦いにおいて、忠誠心は、私たちが何者であるかを明らかにするのに役立つとともに、戦いの中にとどまるよう私たちを促します。
 私たちの忠誠心は、神にとって重要なものです(王上8:61)。それはあらゆる不測の事態を予測しようとするための契約でも、単なる規則のリストでもありません。むしろ、それは個人の信仰や献身が目に見える形であらわれたものです。

水曜日:服従は心の中で始まります。それには、より高い権威者からの命令を実行する責任を精神的に受け入れるという繊細な過程が伴います。服従は、権威者との関係と、その権威者に従うという意志から生じるものです。私たちと神との関係について言えば、私たちの服従は、私たちの行動を道徳的義務に従わせる、自発的で愛に満ちた行為です。神への服従は、ただ私たちの考えや願望に従ったものではなく、神が命じられるとおりのものでなければなりません。カインの場合が絶好の例で、彼は神から求められたことを行う代わりに、自分の好きなようにしました。
 クリスチャンにとって服従が意味することについて、Ⅰヨハネ5:2、3、ローマ1:5、10:16、17を読んでください。
私たちは救われるために従うのではありません。私たちが服従するのは、私たちがすでに救われているからです。服従は、道徳的信仰の実際的な表現です。

木曜日:信頼できるということは、良い管理者の一つの特徴です。これは、信頼できる管理者が彼らの役割の重要性を理解していることを意味します。彼らは、神が信頼できるお方であることを理解し、同じようになろうと心がけます(申32:4、王上8:56)。
ダニエルは、二つの世界的王国の王たちから、信頼できる人間だと思われました。生涯を通じて、恐れることなく王に知恵と真理を授けた信頼できる助言者としての彼への評価は、宮廷の卜者や魔術師たちへの評価とは正反対でした。信頼性は道徳上の最も重要な部分です。それは、あなたの道徳的原則を最も純粋な形で見せます。管理者のこの性質は、一晩であらわれるものではなく、長い間、ごく小さなことにも忠実であることによって生じます。

 今週、管理者の大切なことは、託した方を信頼し、また信頼されることと教えています。わたしも機関の責任を負い、多くの職員がいる職場の仕事がスムーズに進むためには、職員を信頼して仕事を託さねばなりません。その中で、当然職員の能力に応じて仕事を託しますが、それだけでなく信頼できる職員に仕事を託します。
 逆に、仕事を託された方が責任者や職場を信頼する理由は何なのでしょうか。いろいろあると思いますが、その職場の理念などに納得できたり、上司を人間的に信頼できたり、その仕事のミッションに目的を見つけることなどがあるでしょう。
  わたしたちはいのちを託してくださった神さまを、なぜ信頼しているのでしょうか。天国へ入れていただくために信頼しているのでしょうか。
今週の研究「それぞれの特徴は、失われた者を見つけ出して救うためにおいでになったお方と私たちが持つことのできる関係、深まりゆく関係をあらわしています。」と書かれています。神さまは、失われた者を見つけ出して救うという働きをわたしたちに託されました。その召しに応えるか否かは、わたしたちが決めることです。その時の動機については水曜日の引用文に書かれています。自発的で愛に満ち、そして命じられる通りのものでなければなりません。
 命じられたことが明確な場合は、それに従うべきです。わたしは今週の学びをしながら、服従のしるしとして什一献金のことを考えました。これは義務だからでなく、神さまを愛して信頼しているからこそ、命じられたとおりにささげます。神さまの命令に素直に従うだけです。
 けれども、命じられたことが具体的にわからない場合、自分で決めなければならないことは多々あります。そのような場合は、あなたができる最善を果たすこと、それしかないのではないでしょうか。もし足りなければ神さまが何らかの形で教えてくださるでしょう。