第7課 聴覚しょうがい者用:浦島 智加男

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第7課          神に対する正直さ   

1、 初めに
私たちは、バプテスマを受けて、神の国の家族の一員になりました。それ以来、私自身を含めて、私に与えられているタレント(能力・時間・その他一切の者)は、「すべてのものは、わたしのもの」と宣言しておられる所有者であるお方にお返ししたはずでした。ところが、時が経つにしたがって、いつのまにか自分に取り戻してしまい「私のもの」という意識に代わってしまったのではないでしょうか。
もう一度、このガイドをよく学んで、神のものを預かってそれを管理させていただいている「管理者」としての自覚を取り戻していただきましょう。
 
2、 単純な正直者の問題
人間と人間の間であれば、自分のものと他人のものの区別は、しっかり意識していて、人のものを盗むことは、真のクリスチャンであればしないと思います。これは、犯罪につながりますから。 
ところが、目に見えない神様とのお付き合いになると、この意識が薄れてしまします。マラキ書の3章で「あなた方は、私のものを盗んでいる」とはっきり言われています。「十分の一献金」を忘れたり、惜しんだりしても目に見えて犯罪という意識が動きませんし、また、実際にこれをなおざりにしても、罰が即座にあらわれることもないからです。神さまが生きておられる限り、神がこれに正直であれば、私が、生活に必要なものは絶対に保障しておられますし、私が考えている以上に豊かに与えて下さる方であることを覚えましょう。

3、信仰生活
アブラハムは、神さまと直接にお話ができました。今日の私たちも彼のように、神のお声が聴けたら、もっと信仰が強くなれるのにと思うことはありませんか。しかし、そうではありません。実は、私たちは、アブラハムより、神の声を聴くチャンスははるかに多いのです。
聖書は、一字一句神の言葉です。聖書を開きさえすれば、いつも神の声に接することができるからです。そこには、信仰をもっていれば、という条件付きですが。

 4、信仰の表現
アブラハムは、神さまの声を聴いて、「あなたはこうしなさい」という神さまの具体的な指示に従って、行動しました。信仰生活というのは、神さまが「こうしなさい」という命令や指示に従うことです。自分の意見や意志に反することがあっても、全知全能のお方ですから、私たちの考えや、意志をこえて、過去も未来もお見通しのお方であるという絶対の信頼を寄せていけば、「私たちが思い浮かびもしなかった」祝福が待っているのです。
 
5、十一献金の祝福
かつては、自分が努力して働いて手にいれたものだから、自分のものと思っていましたが、信仰によって、神さまにお返ししたという、意識の転換がおこりましたか?それを自由に使いなさいと主は言われました。
しかし、最低、金銭の十分の一と時間の七分の一は、神の御用のために聖別しなさいと言われます。
神さまが、お金が欲しいのではありません。それは、人の救いのためになり、あなたが貪欲なることを防ぎ、神さまが生きて働いておられることを実感するためです。生きておられる神を実感することこそ、信仰の醍醐味(だいごみ)です。生きる喜びです。救いの保証です。