第8課 安河内アキラ

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第8課           什一の影響力         2月24日

暗唱聖句
「あなたがたは知らないのですか。神殿で働く人たちは神殿から下がる物を食べ、祭壇に仕える人たちは祭壇の供え物の分け前にあずかります。同じように、主は、福音を宣べ伝える人たちには福音によって生活の資を得るようにと、指示されました」
Ⅰコリント9:13、14
                                           
今週の聖句  
マルコ16:15、Ⅰペトロ3:8、9、Ⅰコリント9:14、ローマ3:19~24

今週の研究  今日、什一は福音を支援するためにあります。正しく理解されるなら、什一は、私たちと神との関係をはかる霊的物差しの役割を果たします。什一の影響力、使用方法、重要性、分配方法などは、私たちが神の働きを支え、福音宣教のための経済的土台を提供することで霊的に成長するように意図されています。これは神の御計画であり、忠実な管理者が踏み出す第一歩と呼ばれてきました。私たちは今週も什一について考え続けます。特に什一の分配、それが他者にとってどういう意味を持つのか、それが私たちの霊的生活にどのような影響を及ぼすのかといったことに目を向けます。

月曜日:マラキ3:10で見たように、神は什一に忠実な者たちに大きな祝福を約束なさいました。しかし、神の祝福は一面的なものではありません。例えば、ほかのあらゆることをなおざりにして、祝福として有形の資産が増えることを強調するのは、神の本当の祝福に対する非常に狭い見方です。
マラキにおける祝福は、現世的なものであるとともに霊的なものです。神の祝福の意味は、救い、幸福、心の平安、私たちにとって最善を常になしてくださっている神によって明らかにされます。また、私たちは神によって祝福されるとき、その祝福を恵まれない人々に分ける義務があります。私たちは他者を祝福するために祝福されました。確かに、私たちを通して、神はその祝福をほかの場所へ広げることがおできになります。

水曜日:神はイスラエルの人々に、神が選ばれる場所 に什一を持って行きなさいと、さらに命じておられます(申12:5、6)。ソロモンの時代、什一はエルサレムの神殿に返されました。マラキが「十分の一の 献げ物をすべて倉に運(べ)」(マラ3:10)と記したとき、イスラエルの人々は、「倉」が何であり、どこにあるかを容易に理解できました。倉は、宗教的 奉仕がなされる場所、レビ人たちが生活費を得た場所をあらわしていました。
  聖なる什一を倉に運ぶというのは、聖書に示されている見本にすぎません。あらゆる時代に、神は什一を管理する中央倉庫を持ってこられました。アドベンチストは世界規模の教会(宗教)を作り上げ、そこでは倉の原則が受け入れられ、実践されています。教会員は、自分の籍を置く各個教会を通じて教区や教団へ什一を返すことが奨励されます。その教区や教団の金庫は、牧師たちが給料を受け取る場所です。

木曜日:什一に関しては、それをお返しすることによって神から得られる称賛はありません。詰まるところ、什一がそもそも神のものであるなら、それを神にお返ししたところで、どんな称賛がありうるというのでしょうか。私たちはクリスチャンとして良い業わざを行うように造られましたが、それらによって救われないように、什一も私たちを救う行為ではありませ ん。
 什一は、私たちが地上における管理者にすぎず、すべてを神に負っているという私たちの自覚の外面的なあらわれです。ちょうど安息日が、創造主、贖い主として神を週ごとに思い出す日であるように、什一をお返しすることは、同様の機能を果たします。つまり、それは、私たちが自分自身のものでなく、私たちの命も救いも神からの賜物であることを思い出させてくれます。結果として、私たちはその現実を認識して信仰生活を送り、什一を返すことが非常に具体的な信仰表明であると認めることがで きるのです。

 先週に引き続き、什一について学びます。来週まで合計三回、献金について学びます。
今週の学びは、什一がどのように用いられるかについてですが、水曜日の引用文を読んでください。直接の伝道者や、教団の事務や管理、部局で働く方々の生活を支えるために用いられています。
  わたしは牧師として赴任した教会では、その地区の市内牧師会などに比較的積極的に参加して、他教派の先生方からいろいろな話しを伺うことができました。SDAは包括法人で、日本のすべて教会などが一つに宗教法人ですが、このような組織は少ないようです。文部科学省が調査している宗教統計調査を見ると、国内のすべての宗教法人が18万くらい登録されており、そのうち キリスト教の宗教法人が2000団体くらいです。これは、寺社だけでなく、教会も教派としてではなく単独で宗教法人であることが多いためです。ある他教派の牧師はSDAの話を聞いて、「わたしたちの教派は個人商店の集合体ですが、そちらは総合商社みたいですね」と評されていました。
  そしてその先生方が、「2~3月は単独の宗教法人としての様々な書類を所轄官庁へ提出しなければならず大変なんだ」と話されていました。中小規模の教会では事務職員などを雇えませんからすべて牧師がやらねばなりません。けれどもわたしたちの教団では、包括法人ですので教団本部が全部の事務をしてくださり、派遣された牧師は伝道のことだけを考えていればよいのです。
 またわたしたちの教会では、牧師の給与制度が確立しているので、教会が牧師を支えることができない伝道地へも牧師を派遣することができます。他教派で開拓伝道のために新しい伝道地で一から教会と立ち上げる、そこにおいてすばらしい祝福を受けるあかしを聞きます。これはとてもすばらしいことですが、そのためには牧師の献身と犠牲があっての働きです。
 すべての組織に一長一短があるでしょうが、現在のわたしたちの教会が日本の教団や伝道者を支えて、また 全世界の働きのためにも(什一の一部は海外の働きのためにも用いられています)什一が用いられているからこそ、多くの働きを継続できたのです。この成果は、神さまが什一を用いて働いてくださっているあかしではないでしょうか。