第8課 聴覚しょうがい者用:武田 将弥

2018年第1期「スチュワードシップ(管理者の務め)ー心の動機」

第8課            什一の影響力

1・『今週のテーマ』
 献金にはいくつもの種類がありますが、その中でも「什一の献金」は神様から特別に与えられた祝福と約束であり、すべての人間が聖なるものとして捧げるように指示されています。諸々の献金は金額が決まっておらず本人の自由意志ですが、什一は「収入の十分の一(10%)」と決まっており、神様に捧げる(お返しする)義務があります。
 聖書において什一献金のお話がハッキリと出てくるのは、アブラハムがメルキゼデクという人物に与えた箇所(創14:18~20)ですが、もしかするとエデンの園で暮らしていたアダムとエバもある意味に置いて、什一の献金をしていたと考えることが出来るかもしれません。神様はアダムたちに、「園にある食べ物は、全て君たちにあげるから自由にしなさい。でも中央にある善悪を知る木の実だけは食べないように!」と、まるで什一献金のようなルールを人間に与えます。アダム達は「この善悪を知る木の実だけは、約束だから絶対に食べないぞ!」と言いつけを守ることで、お命じになった神様を大事に敬っていることを表明していました。根底に流れる意味は什一献金も同じです。なぜならば私たちの得る収入というのは神様から与えられたものであって、本来は全て神様のものだからです。
 什一の献金は神様を礼拝する神殿を維持するために用いられました。神殿で奉仕するレビ人がいたように、現在では教会を支えるために牧師や教団・世界総会に用いられています。什一献金は神様の倉に納めなくてはいけませんが、その倉とはこの世においては教会のことであり、究極的には神様のおられる天に倉があることを覚える必要があります。
人間は自分勝手な生き物なので「あちらの教会には捧げるけれど、こちらの教会には捧げたくないなぁ…」などと、自分の好き嫌いの都合で動いてしまう可能性があります。私たちが什一の献金を捧げる時には、地上の教会や教団に献金が捧げられるということよりも、天におられる神様にお捧げしていることを意識することが大切です。

2・『宣教活動にともに資金提供する(日)』『神の祝福(月)』
 什一の献金は昔から多くの信徒達によって、教会や伝道を支えるために捧げられてきましたが、実はこれは一番公平で平等な方法です。なぜならば子供からお年寄りまで、どんな人でも無理なく実行可能な仕組みだからです。
 私はむかし三育中学校で働いていたことがあり、そこの中学生たちに向かって「什一献金の大切さ」を教えたことがありました。彼らは毎月2000円のお小遣いを貰っていたので、その話を聞いた多くの学生達が、什一献金のために200円を握りしめて礼拝堂に向かっていきました。喜んで200円を献金する者もいれば(う~ん200円かぁ、大きいなぁ~どうしよう…)と、悩み苦しむ学生もいました。収入のある大人からすると200円という金額は小さく感じるかもしれませんが、まだ幼く収入の限られている彼らにとっては立派な「什一の献金」なのです。私は彼らの様子を微笑ましく見守っていたことを今でも覚えております。
 什一献金とはその人に与えられた恵み(収入)の一部を、神様にお返しすることですから、たとえ環境が変わって収入が上下しても、生きている限りは捧げ続けることが出来ますし、収入が多くても少なくても十分の一という点で公平・平等です。
 大事なことは、什一の献金も、その他の諸献金についても、伝える私たちがまず模範になる必要があります。
 人々に献金の大切さを教えることは必須ですが、気を付けなければならないのは「献金による神の祝福」について、キリストの愛をもって教えることです。そして自分の体験談を交えて説明するのがおそらく最善な方法でしょう。なぜならどんなに正しいことも、愛(キリスト)が含まれていなければ意味がありません。また信仰は生きたものでなくては人の心に伝わりませんから、勉強で得ただけの説明では不十分です。まずは自分自身が神様と繋がり、献金を通して生きた証を主からいただくことによって、説明に説得力が増し加わるものなのです。
 什一献金の説明で、おそらく多くの人が問題に感じるのは「什一の献金を捧げたら、残りの9割の収入でやっていけるのだろうか…?」という不安・心配だと思います。しかし神様はそれを見越して「大丈夫だから試しにやってみなさい(マラキ3:10)」と約束してくれています。神様が「大丈夫だ!」と宣言されているのに、もしも「本当に大丈夫なのかな?」と何度も疑って掛かれば、それは神様に対して失礼にあたるので注意しましょう。
 人によってはお金を手元から離すことは何だか損したような、少し寂しい気持ちになるかもしれませんが、実はそのように感じる必要は全然なく、神様が必ず他の形で助けてくださいます。わたしも什一献金や諸献金を捧げていますが、生活は支えられておりますし、牧師の仕事をしていて急な出費が発生することもありますが、必ず大丈夫なように神様が別な形で計らってくださるので本当に感謝しております。ですから、我々が財産の無駄使いをしない限りは、神様は必ず支えて下さることを体験的に知っておりますので、私も一人のクリスチャンとして自信をもって「聖書の約束は本当である」と、皆さんに伝えさせていただけております。

3・『什一の目的(火)』『倉(水)』
 什一献金は世に神様のメッセージを伝えるため特別に捧げられる献金なので、伝道に使うという明確な目的があります。ですから献金を捧げる者たちは神様に献金しているという意識をもって行うことが求められており、什一献金を預かる者は神様の大事な財産を管理させていただいているという厳粛な気持ちをもって運用する必要があります。そして神様の倉に納める什一献金は、安息日と同じように聖(神)に属するものであり、主を信じる者にとって捧げるべき当然の義務です。もしもこの什一献金をクリスチャンが全員忠実に捧げたとしたら、経済的に行き詰まったり困ったりすることはなくなるであろうと、神様はホワイト夫人を通して言われています。ちなみに世界の教会の中で日本の教会は、什一献金を忠実にお捧げしている人たちの割合の多さが世界トップクラスだそうです!

4・『什一と信仰による救い(木)』『さらなる研究(金)』
 神様を信じる者は什一の献金を忠実に捧げますが、それによって救われるわけではありません。また多く献金したからといって神様に褒めてもらえるわけでもありません。なぜなら私たちの受け取っている収入は、もともと全て神様のものですから、それを持ち主にお返しただけのことなので何の自慢にもなりません。それでも神様は什一献金をわたしに捧げなさいと求められているのはなぜでしょうか?それはアダムとエバがエデンの園で、善悪の木の実だけは食べないようにと命じられたように、神様の言い付けを守ることによって、主に対する自分の信仰の姿勢を示すことに繋がりました。ですから什一献金を忠実にお捧げするという行為を通して、実は自分自身を神様に心から捧げる(命令に従う)訓練と姿勢を表しているのですが、これが実行出来るようになるには祈りが必要不可欠です。