第1課 安河内アキラ

2018年第2期「終末時代への備えーイエスに会う準備をする」

第1課         宇宙規模の争い          4月7日

暗唱聖句
「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った」黙示録12:17

今週の聖句  エゼキエル28:1、2、11~17、創世記3:1~7、黙示録12:1~17、ローマ8:31~39、黙示録14:12

今週の研究  
聖書の世界観は、「大争闘」とも呼ばれる宇宙規模の争いであり、それが私たちの世界の、さらには全宇宙のドラマが展開する背景となっています。罪、苦しみ、死、国々の盛衰、福音の宣布、終末の諸事件―こういったことはみな、この宇宙規模の争いという背景の中で起きるのです。私たちは今週、この争いが根づくことになったいくつかの重要な場面に目を向けます。

はじめに:こうして私たちは今、確かに「時の終わり」(ダニ12:13)に生きています。しかし私たちは、(イエスの再臨によってクライマックスを迎える)その終わりがいつ来るのか知りませんが、それを知る必要もありません。私たちが知っている必要があるのは、終わりが来るということ、その時に備えができているということだけです。

日曜日: 神が御自分のあらゆる知的被造物にお与えになった自由意志以外に、ルシファーが堕落した理由は存在しません。エレン・G・ホワイトが深くも次のように記したとおりです。「罪の存在を理由づけようとして罪の起源を説明することは、不可能である。……罪は侵入者であって、その存在について理由をあげることがで きない。それは神秘的であり、不可解であって、その言いわけをすることは、それを弁護することになる」(『希望への光』1836ページ、『各時代の大争闘』下巻228ページ)。
「罪」を「悪」という言葉に置き換えても、この文は通じます。悪の存在を理由づけようとして悪の起源を説明することは、不可能です。……悪は侵入者であって、その存在 について理由を挙げることができません。それは神秘的であり、不可解であって、その言い訳をすることは、それを弁護することになるのです。

水曜日: 終わりの時の危機との関連で、キリストは御自分の民に、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ28:20)とおっしゃいました。 キリストに従う者たちが大勢殉教の死を遂げたにもかかわらず、私たちはこのすばらしい約束を、いかに理解したらよいのでしょうか(ロマ8:31~39、マタ10:28参照)。
いかなるもの(迫害、飢え、死)も、私たちを神の愛から引き離すことはできません。現在であれ、終末時代であれ、キリストが私たちとともにおられるというのは、痛み、苦しみ、試練、あるいは死が私たちを襲わないという意味ではありません。この世の人生において、私たちはそのような適用の除外を約束されていないのです。その意味は 、イエスと、イエスが私たちのために成し遂げてくださったことによって、私たちが希望と約束を持って生きられるということです。その希望と約束とは、神がこのような試練の中でもともにいてくださるというもの、また私たちには新しい天と地における永遠の命が約束されているというものです。地上でどのようなことを経験しようと、私たちはパウロのように、「今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます」(Ⅱテモ4:8)と確信していられるという希望を持って生きることができます。「主が来られるのをひたすら待ち望む」私たちは、このような希望と約束を自分のものとして要求できるのです。

木曜日:セブンスデー・アドベンチストという名前には、私たちが支持することの多くが含まれています。「セブンスデー」という部分は第七日安息日をあらわし、それは、私たちが十戒のその一つの掟だけでなく、十の掟すべてを信じているということを暗に指し示しています。「アドベンチスト」の部分は、私たちが イエスの再臨、つまりイエスが初臨の際に贖あがないの死によって成し遂げてくださったことのゆえにのみ存在しうる真理を信じていることを指し示しています。このようにセブンスデー・アドベンチストという私たちの名前は、非常に重要で分かちがたい現代の真理の二つの構成要素(律法と福音)を示しているのです。
                                           
今期は「終末時代への備え」と題して学びます。その大前提になる言葉が、はじまりに書かれています。再臨は確実にやってきます。けれども時を決めるのはわたしたちではありません。そしてわたしたちはその時を見つけることもできないし、仮にその日を知ったとしても、その時まで生かされている保証はありません。わたしたちがしなければならないことは、備えることなのです。今期は私たちがやらねばならないことについて学びます。
 終末が迫っているという聖書の世界を理解するためには、目には見えない善と悪との戦いがあることを忘れてはなりません。けれども、どんなに悪が強くても、その誘惑に従うのか拒むのかは、あなたが決めることなのです。 今期の学びは終末とは限らずに、日々わたしたちが何を選んで行くのか考えて行くのではないでしょうか。
 水曜日の学びで、いつもともにいてくださるという約束が語られていながら、苦しみがあることについて書かれています。苦しみの原因はいろいろあるでしょう。しかしその多く要因は、自らの弱さで決断ができなかったり、誘惑に負けて間違った選びをしてしまったためではないでしょうか。そのすべての苦しみの中にあっても、神さまが見捨てずにそばにいてくださる、ここに神さまの大きな愛があります。