第12課 安河内アキラ

2018年第2期「終末時代への備えーイエスに会う準備をする」

第12課            バビロンと最後の戦い            6月23日

暗唱聖句
「その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、『大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌いまわしい者たちの母』という名である」黙示録17:5
                                           
今週の聖句   黙示録14:8、16:19、イザヤ52:9、黙示録18:1~10、黙示録16:12~16、列王記上18:1~40、Ⅰコリント15:1、2
                                           
今週の研究
ハルマゲドンに関しては非常に多くの推測が存在しており、多くの人が、この世の終わり近くにメギドのそこで激しい戦闘が起こると予想しています。
私たちは今週、バビロンとハルマゲドンに目を向け、聖書がこれらの象徴を用いて述べていることを学びます。

月曜日:「全面的成就」が今や果たされたのかどうかは、神にしかわかりません。しかし私たちにも、先の聖句によれば、霊的バビロンが自身の大いなる悪のゆえにいつの日か神の裁きを受けるということはわかります。「彼女の罪は積み重なって天にまで届き、神はその不義を覚えておられるからである」(黙18:5)。この表現は、古代バビロンに関する旧約聖書の言葉を反映しており(エレ51:9参照)、裁きの時が必ずやって来ることを意味します。
言うまでもなく、このような裁きがやって来ることは、驚くに当たりません。何しろ、古代のバビロンも裁きを受けたのですから……(ダニ5章参照)。聖書は多くの箇所で、バビロンを含むすべての人が、いつの日か自らの 行為の釈明をしなければならなくなるだろう、とはっきり述べています。私たちクリスチャンには、その裁きにおいて味方になってくださる弁護者がいますが(Ⅰヨハ2:1、ダニ7:22)、そのことを知っているのはなんと心強いことでしょう。さもなければ、私たちの運命は、バビロンの運命とさして変わらないかもしれません。

水曜日:いろいろな意味で、私たちがここに見るのは、大争闘のありのままの描写です。エリヤは列王記上18:18で、その問題をとても簡潔に述べています。「〔人々は〕主の戒めを捨て、バアル〔偽の神々〕に従っている」。歴史を通じて、この悪は数えきれない形や方法であらわれましが、問題は常にこのことだったのではないでしょうか。私たちは、「天と地、海と水の源を創造した方」(黙14:7)を拝んでいるか、さもなければ、何かほかの人や物を拝んでいるのです。黙示録13章の状況とそこで繰り広げられている諸事件の中で、人々は主を拝む代わりに、獣とその像を拝んでいます。中立の立場はありません。私たちは神の側か、サタンの側か、いずれかにいます。そう いうわけで、争点であるこの問題は、現在、またとりわけハルマゲドンの戦いにおいて重要です。その戦いでは、私たちがカルメル山上の物語で見るように、明確に区別されるからです。

木曜日:列王記上18:18~40を読んでください。この物語は、大争闘が最終時代に山場を迎えるときに起きることを反映しています。カルメル山上の戦いは、神の預言者エリヤと450人のバアルの預言者との間の戦いでした(いかに悪人が善人よりも数で勝っていたかに注目してください)。それは、だれが真の神であるか―天と地を創造された神か、それとも「竜」(黙12:9)のもう一つのあらわれであり、竜がこの世を惑わすためのもう一つの手段にすぎないバアルか―を明らかにするテストでした。
ハルマゲドンについてわからないことが残るとしても、私たちは今、少なくともその結果を知っています。神の敵は滅ぼされ、神と神の聖なる者たちは正当性を立証されるのです。
                                           

いよいよ今期の学びも最後が近づいてきました。来週は再臨ですので、いよいよ最後の大きな戦いです。この戦いを模したものとして、今週の学びの中ではエリヤのカルメル山での戦いは黙示録13章の戦いの予型であると教えています。(ガイド本文の木曜日参照)
この戦いのように、正しいことのために、多数の前に一人で立たなければならないかもしれません。聖書の中には神さまが正しい道を歩む残りの民を残されるという記述が多くあります。義のために迫害される、それがこの戦いの本質でしょう。
そしてもう一つ、最後に神さまが勝利されます。数の上では負けていますが、神さまの力はすべての悪霊が集まっても戦いにならないことは、彼らがわかっているのです。(マルコ5章、ルカ8章参照)
この最後の戦いまで生きることがなかったとしても、人生の最後を迎えて死を前にして、すべての人が大きな痛みや絶望感などと戦わねばならないことを忘れてはなりません。すべての人にとって最後まで神さまにすがること、その最後の大きな戦いが死の直前なのです。この戦いも一人で戦って行かねばなりませんが、同じように最後に神さまが勝利され、永遠の天国への道が開かれて行くのです。