第13課 安河内アキラ

2018年第2期「終末時代への備えーイエスに会う準備をする」

第13課            私たちの主イエスの再臨            6月30日

暗唱聖句
 「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである」マタイ24:27
                                           
今週の聖句   イザヤ13:6、9、マタイ24:30、31、ダニエル2:34、35、Ⅱテモテ4:6~ 8、Ⅱテサロニケ1:7~10
                                           
今週の研究
 私たちは今週、あらゆる終末の諸事件の中でも最後の事件、少なくとも現在の世界が関係する限りにおいて最後のことである主イエスの再臨について語ります。

日曜日:どれほど私たちがイエスの再臨を新約聖書だけの教えだと思いがちであるにしても、それは正しくありません。言うまでもなく、イエスの初臨、死、復活、昇天があって初めて、再臨を取り巻く真理は十分かつ豊かに啓示されました。しかし、新約聖書におけるほかのことと同様、旧約聖書は、それが起こるずっと前から、この極めて重要な真理の手がかりや前兆を明らかにしています。新約聖書の記者たちは、イエスの再臨の教理によって新しい真理を啓示したのではありません。そうではなく、彼らは旧約聖書の中にすでに啓示されていた真理を大いに深めたのでした。今だからこそ、十字架につけられ、復活された救い主を踏まえて、再臨の約束はもっとよく理解され、評価されうるのです。

水曜日:聖書によれば、再臨は極めて重要であるにもかかわらず、すべてのクリスチャンがそれを文字どおりの出来事、キリスト御自身が戻って来られる出来事だとみなしているわけではありません。例えば、イエスの再臨は、キリスト御自身が地球に戻られるときではなく、彼の霊が地上の教会の中にあらわれるときに起きることだと、主張する人たちがいます。言い換えれば、キリストの再臨は、キリスト教の道徳的原則が神の民の中にあわわれるときに達成されるというのです。
 しかし感謝すべきことに、この教えは間違っています。もしそれが本当なら、私たちにはどんな長年にわたる望みがあるでしょうか。

木曜日:イエスは友人であるラザロを墓から復活させる前に、このような言葉を口にされました―「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハ11:25)。しかしイエスは、このような途方もない主張を信じるようにと人々に求めただけでなく、それに続いて、死体が臭い始めるほどかなり前に亡くなったラザロを死から復活させられたのです(ヨハ11:39)。
 確かに、イエスを信じる者たちも死にます。しかし、イエスが言われたように、彼らは死ぬかもしれませんが、再び生きるのです。これが死者の復活にほかなりません。そしてこの死者の復活のゆえに、イエスの再臨は私たちのあらゆる希望の中心なのです。
                                           

 今期の学びも最終回となりました。終末時代への備えとして、この時代に必要なことを今期は学んできました。再臨が近いと心を騒がせるのではなく、再臨の時をお決めになるのは神さまです。神さまが最善の時に迎えに来てくださることを信じて、おまかせするしかありません。わたしたちができることは、ほんとうの礼拝をしているか、心から神さまを信じて礼拝をしているか、世の終わりにわたしたちがすべきことは、これしかありません。
 再臨、それはこの世の終わりではなく、再創造なのです。天地の始まりで神さまがなさったことを再びなさるのです。完全な世を再び神さまが創造されるのです。聖書は神さまが、そのような力が持っていらっしゃることを、旧約聖書でも新約聖書でも記録されているのです。その中で、わたしたちも栄化していただくのです。
水曜日の学びに書かれていますが、再臨は目に見える形ではなくやってくると教えている教会もあります。わたしたちは十字架や復活が文字通りにあったと信じているとしたら、再臨も同じようにイエス様が雲に乗って栄光の姿でやってこられることも信じて、その日の一日も早い到来を待とうではありませんか。