第2課 安河内アキラ

2018年第2期「終末時代への備えーイエスに会う準備をする」

第2課           ダニエルと終末時代          4月14日

暗唱聖句
「王はダニエルに言った。『あなたがこの秘密を明かすことができたからには、あなたたちの神はまことに神々の神、すべての王の主、秘密を明かす方にちがいない』」ダニエル2:47
                                           
今週の聖句  ルカ16:10、ダニエル1章、2 章、3:1~6、黙示録13:11~15、ダニエル3:13~18、ヨハネ3:7、ダニエル4 章、6 章

今週の研究  
私たちは、バビロンの王宮のその異邦人たちのように、神を知らない世界に神をあかししなさいと召されるとともに、終末時代に生きているからです。私たちは彼らの物語から何を学べるでしょうか。

日曜日: イエスのこの言葉に目を向けてください。妥協すること、「ごく小さな事に不忠実」になることは、実に簡単です。問題は、「ごく小さな事」それ自体が重要だということではありません。そうではありません。だから、「ごく小さな事」なのです。私たちのほとんどが自分の体験やほかの人の実例から(あるいは、その両方から)知っているように、問題は、最初の妥協が次の妥協につながり、次の妥協はさらに次の妥協につながり、やがて私たちが「大きな事にも不忠実」になってしまうことです。
つまり、バビロンの汚れた食べ物を拒否することで彼らが主に忠実であったので、主は彼らとともに働くことがおできになったということです。青年たちは服従し、神は彼らの服従を祝福なさいました。この4人の青年たちのように、もし古代イスラエルが全体として聖書の教えに勤勉かつ忠実に従っていたなら、神はこれと同じことをイスラエルにもなさらなかったでしょうか。もちろん、そうされたはずです。そして、もし私たちが忠実であるなら、今日、終わりの時にいる私たちにも、神はそうしてくださるでしょう。

月曜日:ダニエルは、公然と恥じることなく、自分に啓示されたことのゆえに神をほめたたえました。ダニエルは、王の夢を知るだけでなく、それを解釈する能力の源として、すでに認められていた彼の知恵と理解力をいとも簡単に自慢しえたことでしょう。しかし、彼ははるかに分別がありました。彼と仲間がささげた祈りは(ダニ2:17~23)、彼らが全面的に神に頼っていたことを示しています。さもなければ、彼らはほかの賢者たちと一緒に死んでいたでしょう。
 このように、謙遜と神に頼ることによって、ダニエルは力強い証人になることができました。当時、ダニエルが謙遜を示したのなら、今日、私たちはどれほどもっと謙遜を示すべきで しょうか。何しろ私たちには、ダニエルが知りえなかった救済計画の啓示があるからです。もし私たちを謙遜にさせ続けるものがあるとしたら、それは、イエスが十字架で成し遂げてくださったことに関する知識です。

金曜日:私たちはダニエル書を、国々の盛衰、裁き(ダニ7:22、26、8:14)、悩みの時における神の民の解放(同12:1)との関連で考えがちですが、今週見たように、ダニエル書は私たちに、試練と迫害がいつ襲ってくるにしても、それらに対して個人個人が備えるとはどういうことかの実例も示しています。その意味において、これらの物語は終わりの時の極めて重要なメッセージを私たちに伝えているのです。詰まるところ、「獣の刻印」や「悩みの時」やこれから起きる迫害について知ることがいかに役立つとしても、もし私たちが必要とする神との体験を経ていないなら、このような知識はみな、私たちを罪に定めるだけでしょう。何よりも私たちに必要なのは、ダニエルや(ネブカドネツァルを含む)ほかの人たちが体験した「新たに生まれること」なのです。
                                           

聖書に限らず歴史を語る時に忘れていけないのは、わたしたちがその結末を知っているので、ああだこうだと言えるからです。その時の方々は必死に生きて、その中でぎりぎりの決断をしているのです。
今週はダニエルと彼の仲間たちについて学びます。月曜日の学びで、彼らが「小さなことに忠実」だったと書かれています。それは聖書の原則に関しても、そしておそらくそれ以外にすべてのことにおいても、神さまの栄光をあらわすために忠実であったのではないでしょうか。そうでないと、ただ自分たちの原則を主張しても聞き入れていただけなかったでしょう。ダニエル書1章の王の食べ物を拒否できたのも、彼らが忠実にすべての働きを果たしていたからこそ、それだった らと王は了承したのです。聖書の原則を貫けば、必ず道が開かれると、このできごとを通して教えることはできますが、そのためには彼らがすべてにおいて忠実だったからこそ、王の心を動かせたのです。
特に日本のようなキリスト教の文化圏でない国において伝道をするためには、まず信頼をしていただければなりません。そのためには忠実に役割を果たすことから始まるのです。特別なことをお願いするためには、お祈りをして信仰の戦いをしなければなりませんが、その前にしっかりと普段から忠実な歩みをしていることが大切なのです。
そしてそれは今期の学びである終末の備えとして、すべての人ができることなのです。