第4課 安河内アキラ

2018年第2期「終末時代への備えーイエスに会う準備をする」

第4課       救いの計画と終末時代       4月28日

暗唱聖句
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」 Ⅰヨハネ4:10
                                           
今週の聖句  ヨハネ14:9、ゼファニヤ3:17、ヨハネ1:1~ 3、ローマ8:38、39、詩編91:15、16、黙示録14:6、7、エフェソ1:4、5

今週の研究
キリスト教とそれ以外の宗教との間には、興味深いが決定的な一つの違いがあります。後者は、創始者が信徒に教えたことを強調するものの、創始者が信徒のためにしたことは強調しないという点です。なぜなら、創始者たちが信徒のために何をしたにせよ、それは彼らを救うことができないからです。このような指導者たちにできたのは、いかに自分自身を「救う」かを人々に教えようとすることだけでした。
 それとは対照的に、クリスチャンは、イエスが教えられたことだけでなく、イエスがなさったことも強調します。

日曜日:憐あわれみ、恵み、赦しにあふれた新約聖書の神と比べて、旧約聖書の神は正義の神だと、ある人たちは言います。彼らは両者を区別しますが、その区別は妥当ではありません。旧約聖書の神も新約聖書の神も同じ神であり、同じ特徴を持っておられるのです。
神は変わられません。もし私たちが旧約聖書における諸事件にまつわる事実をすべて知るなら、神が新約聖書におけると同様、旧約聖書においても憐れみ深いことに気づくでしょう。聖書は明言しています。「神は愛」(Ⅰヨハ4:8)であり、不変であられる、と。「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です」(ヘブ13:8)。
 十字架にかかられたのは旧約聖書の神であることも、覚えておいてください。この神は、怒ること遅く、誠実で、憐れみ深く、恵み深く、愛にあふれる神でもあられます(出34:6、7)。神は常に変わらぬ愛を持ち(詩編143:8)、御自分に従う者たちを喜ばれます(同147:11)。神は人々を繁栄させ、彼らに希望を与えようと計画しておられます(エレ29:11)。愛のゆえに、神は御自分の民もはや非難せず、喜びの歌をもって楽しまれます(ゼファ3:17)。これが、そしてそれ以上が、父なる神の真の姿です。

水曜日:私たちは聖きよい生活を送るようにと召され、また命じられてもいますが、このような生活は、救いを得る手段ではなく、キリストによって救われたことの結果です。私たちは死に至るまで忠実でなければなりませんが、救いという私たちの唯一の希望である賜物にいつも頼る必要があります。終わりの時に、神の民は忠実で、従順であるところを見いだされるでしょう。その忠実さや従順さは、キリストが彼らのために成し遂げてくださったことへの確信から生じるものなのです。

金曜日:私たちは救いの確信を得ることができますが、それに関して思い上がってはいけません。誤った救いの確信というようなものはないでしょうか。もちろん、あります。イエスもそれを注意するようにと言っておられます。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』 」(マタ7:21~23)。
 この人たちは致命的な間違いを犯しました。第一に、彼らは主の御名によってとても偉大なことをしたにもかかわらず、主の御心を行うこと、つまり主の律法に従うことをしていませんでした。イエスは、「罪ある者ども、失敗ある者ども、不完全な者ども、わたしから離れ去れ」とはおっしゃっていません。そうではなく、イエスは「不法を働く者ども」(ギリシア語の「アノミアン」〔無法〕)と彼らを評しておられるのです。第二に、彼らが自分自身や自分が成し遂げたことを強調している点に注目してください。「私たちはあなたの御名によってこれもそれもあれもしたではありませんか」と。神の前で自己弁護をしようとして自分の行いを指摘するとは、彼らはどれほどキリストから離れてしまっていたことでしょうか。私たちを救う唯一の業は、信仰によって私たちのものと認められるキリストの業だけです。私たちの確信を置くべきはここです。私たち自身や私たちの行いではなく、キリストが私たちのために成し遂げてくださったことです。あなたは確信を得たいと思いませんか。神の律法に従い、キリストの義の功績にのみ安んじてください。そうすれば、あなたは必要な確信をすべて得ることでしょう。
                                           

 今週のそれぞれの引用文をしっかりとお読みください。まずは日曜日ですが、旧約聖書でも新約聖書でも同じ神さまであることを聖書の言葉を引用して説明されています。黙示録に「昔いまし、今いまし、やがて来たるべき方」(黙示録:8参照)と書かれていますが、愛の神さまであると同時に罪をおゆるしにならない神さまでもあるのです。
 木曜日と金曜日は救いの確信について書かれています。救いの確信をを持てないで不安になってしまう人、そして確信が強くなり思い上がってしまった人について書かれています。特に金曜日の引用文をしっかりとお読みください。悪霊を追い出した人でさえも、不法の働く者と書かれています。わたしたちは自らの働きの成功に関心が向かいやすい弱さを持っています。すばらしい働きをさせてくださっている方はどなたでしょう。そしてそれを通して多くの人に神さまを伝える目的で、そのような働きを忘れてしまい、自分に働きの成果を向けようとしてしまう弱さをわたしたちは持っているのではないでしょうか。このような思い上がりの罪を、特にマラナタ18で各教会での働きの 成果が見える時だからこそ、この誘惑に負けないように気をつけていきたいものですね。