第7課 安河内アキラ

2018年第2期「終末時代への備えーイエスに会う準備をする」

第7課          マタイによる福音書24章と25章         5月19日

暗唱聖句
「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである」 マタイ24:24
                                           
今週の聖句   マタイ24:1~ 25、黙示録13:11~ 17、マタイ7:24 ~ 27、ルカ21:20、マタイ25:1~ 30

今週の研究
イエスは、これから起きることについて警告なさっただけではありません。彼はマタイ25 章において、もし心に留められるなら、「人の子」がお戻りになるときに御自分の民を備えさせるだろうたとえ話を語られました。確かに、困難な時代はやって来るでしょうが、イエスは一つの民を備えて、再臨のときに会えるようになさるのです。

月曜日:知的に神の言葉にしっかり立つことは重要ですが、イエスによれば、それだけでは、私たちが遭遇する試練の中で立つためにはまだ不十分です。私たちは学んだことを実行しなければなりません。つまり私たちは、イエスがそうであられるように、真理に従う必要があります。先のたとえ話の中で、家を建てたいずれの人もイエスのおっしゃることを聞きました。2人の違い、倒れたか、倒れなかったかの違いは、イエスが教えられたことに従ったか、従わなかったかでした。

水曜日:このおとめたちは、キリストが戻られるのを待ってはいるものの、キリストとの表面的な体験しかないクリスチャンをあらわしています。彼らは油をいくらか持っていて、人生の中で聖霊がいくらか働かれたのですが、それは炎がちらちら瞬く程度にすぎません。多くを必要とするときも彼らは少しで満足していました。
 「聖霊は、人が心の中に新しい性質の植えつけられるのを望んで、同意するのに応じて、人の心にお働きになるのである。ところが、思慮の浅い女によって代表されている人々は、表面的な働きに満足している。彼らは、神を知らない。彼らは、神の品性を学んでいない。神と交わっていない。であるから、彼らはいかに神に信頼し、ながめ、生き るべきかを知らないのである。彼らの神への奉仕は、形式化してしまう」(『希望への光』1348、1349ページ、『キリストの実物教訓』387ページ)。

木曜日:霊的賜物は、聖霊によってもたらされます(Ⅰコリ12:1~11、28~31、エフェ4:11参照)。ほとんど賜物を持っていないと思っている人たちには、良い知らせがあります。賜物は、与え主がいなければ、受け取ることができません。それゆえ、このような人たちは、最大の賜物であられる聖霊を受けることによって彼らの賜物を受け取ることができます。
 賜物は、キリストによってすでに私たちのものですが、実際にそれを所有することは、私たちが聖霊を受け、聖霊に屈服することにかかっています。利益のなかった僕が過ちを犯したのはここにおいてです。彼は賜物を与えられていましたが、それを用いて何もしませんでした。彼は自分の賜物を活かさずに放置しま した。彼は、寛大にも与えられたものを受け取って、それで何かをするという努力をしませんでした。結果として、イエスは彼を「怠け者の悪い僕」(マタ25:26)とお呼びになりました。それは痛烈な非難でした。
                                           

マタイ24章は、キリストが直接終末について預言をされた記録です。そして25章は、24章とつながっているみことばなのです。24章で将来を語り、どのように生きるのか25章に書かれています。
25章には十人の乙女、タラントンのたとえ、羊と山羊のたとえが書かれています。これは再臨に向けての、どのような備えをしたらよいのか教えています。十人の乙女は教会に通っている、神さまとつながっていましたが、5人はほんとうの備えができていませんでした。ここで語られている備えとは、神さまのことを心から信頼する関係ができているではないでしょうか。あなたは神さまと、しっかりと結びついているでしょうか。
 タラントンのたとえは、一人ひとりの賜物は異なっていますが、それを神さまのため、多くの人々の幸せのために使っているのか問われています。そして最後の羊と山羊のたとえは、困っている人、助ける価値のない人のような、失われた人に愛情を注いでいるだろうか、これが再臨の備えと教えています。
 あの金持ちの青年が「自分が救われるためにどうしたら良いのか」とキリストに問いましたが、自分が救われるために何かをするのではなく、逆の方向を向いて、与えられた賜物を活かし、地域のみなさまの幸せのために生きる、このような生き方を日々している人が神の子として天の国に迎え入れていただけるのです。