第11課 青年用:仲泊 大輔

2018年3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第11課             エルサレムでの逮捕             仲泊 大輔

● 今週のポイント
① 使徒言行録15章のエルサレム会議で話し合われた異邦人の改宗をいかにして認めるかという問題は、教会内部の深刻な対立を引き起こしていました。その対立を、教会の一致へと導くために、パウロが計画したのが、伝道旅行で訪れた教会から募金を集め、エルサレムの教会に持って来るというものでした。当時、ユダヤ人たちは飢饉などの理由で、非常に貧しい生活をしていたと言われています。(副読本11章参照)そのため、パウロは「聖なるものたちのための募金」(Ⅰコリント16:1)として、ユダヤの同胞たちへの募金を異邦人から集めていました。それは、対立しているユダヤ人と異邦人との架け橋となり、教会の一致を目指すための手段でした。

② 結果的に、パウロの一致のための計画は、その目的を達成することはできなかったと言えます。それはパウロの働きに問題があったのではありません。パウロを迎えたエルサレムの長老たちの不信仰が原因でした。「彼らは、ところが、彼らが伝え聞いているところによれば、あなたは異邦人の中にいるユダヤ人一同に対して、子供に割礼を施すな、またユダヤの慣例にしたがうなと言って、モーセにそむくことを教えている、ということである。」(使徒21:21)と言いました。しかしこれは、パウロが実際に伝えていたことではありません。パウロは救いについては、イエス・キリストによる以外ないと教えていましたが、決して律法をないがしろにしていたわけではありませんでした。パウロがユダヤ人のために集めた募金によって、どれだけ神様がユダヤ人も異邦人も愛し、教会が一致することを望んでおられるかを示すはずが、上記の言葉によって、無意味なものになってしまいました。本来、教会の指導者たちはパウロを擁護すべきでしたが、ユダヤ人の迫害を恐れ、逆にユダヤ人に気を遣う立場をとってしまいました。それは教会の一致やすべての人に福音を伝えるという神様の使命とは逆のことでした。

③ 私たちも違う文化と接するときに同じような経験をすることがあります。それは、必ずしも外国人との交わりにおいてだけではありません。例えば、生まれた時から教会生活をしている人と、途中からクリスチャンになった人とでは考え方に違いがあります。また、三育の学校に長く通っていた人の常識と世間一般の学校に通っていた人の常識は違います。そのように違う文化と接する時、私たちも偏見や先入観を持って、お互いを見てしまうことがあります。このような偏見や先入観は、お互いに実在しないサンドバッグを叩くことになってしまいます。今回のパウロが直面した問題も、パウロが実際に宣べ伝えていた内容とは違うことでパウロが非難されています。私たちは、偏見や先入観を取り除いていただき、神様の目で相手を見る必要があります。

④ パウロを非難した人たちは、パウロと個人的な交わりを通してではなく、彼についての噂などから、彼を非難していました。これは私たちも気をつけなければなりません。噂や先入観でその人を判断し、偏見を持って接してしまうことで、神様の大切な働きを台無しにしてしまう場合があります。誰かが行っていたことではなく、本人との交わりの中で判断したいものです。木曜日にユダヤ人たちよりもフェリクスの方が、偏見なく平等に判断したのは興味深いことです。これは、私たちの信仰生活にも直結します。誰かから聞いた神様のことではなく、神様との個人的な交わりの中で、イエス様をさらに深く知ることができます。神様との個人的な交わりの習慣があれば、周りの人たちとも偏見なく交わることができるようになっていくのではないでしょうか。

● ディスカッションのためのテーマ
① 噂話を聞いていた人と実際に関わった時、噂と全然違ったという経験はありますか?
② 最近、神様との個人的な交わりの中で、与えられた気づきはありますか?