第11課 聴覚しょうがい者用:松枝 重則

2018年第3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第11課            エルサレムでの逮捕             松枝 重則

(ルビ付きの原稿はPDFをご覧ください)

1.安息日午後:今週のテーマ
 パウロは伝道旅行を通してユダヤ人と異邦人の一致を願ってきました。しかしいくら訴えても一部の熱心なユダヤ教徒は分かってくれませんでした。このままでは伝道が進みません。どうすれば良いでしょう。そのようにパウロが悩んでいた時、パウロの人生を変える大きな問題が使徒言行録21章18節から始まります。
パウロは熱心なユダヤ教徒の理解を得ようと思うあまり、「イエスを信じる信仰によって救われる」という真理に対して妥協してしまいました。パウロは「この小さい妥協によって教会が一致できるのだから、これは良いことなのだ!」と自分を正当化しました。しかし、この人間的な決断が大問題に繋がります。

2.日曜日:エルサレムの指導者と会う(使徒21:16-26)
 パウロは伝道旅行の最後にエルサレムに行きました。パウロはエルサレムで温かく迎えられました。しかし、そこで自分に対する悪い噂を聞きました。 地元の熱心なユダヤ教徒達が「パウロはモーセから離れるように教えている」と噂している、と聞いたのです。
 この誤解を解く為にパウロはあることをしなさいと教会の長老からアドバイスされました。それは「ナジル人の誓願」の為に頭をそる費用を出すということでした。しかし、この「ナジル人の誓願」を助ける行為は「救われる為に行いも必要なのだ」、という誤った教えを認めたことになるのでした。つまり神の御心ではなかったのです。

3.月曜日:神殿での騒動(使徒21:26-36)
 パウロが「ナジル人の誓願」の手助けをすることは神様の御心ではありませんでした。パウロは神様に御心がなんなのか求めませんでした。パウロは御心よりも人間のアドバイスを実行してしまったのです。この結果、パウロはユダヤ人たちに更なる誤解を与えることになりました。
 パウロは「ナジル人の誓願」の手助けをする為に異邦人を含む仲間達と神殿に行きました。その光景をみた熱心なユダヤ教徒達はパウロが異邦人を神殿の中に入れたと勘違いしました。ユダヤ人の法律によれば、無割礼の人が神殿の中に入ることは死刑に値するのでした。勿論、パウロは異邦人の仲間を神殿の中に入れてはいませんでした。しかしパウロを憎んでいるユダヤ教徒達は群衆を煽ってパウロを殺そうとしました。これが大きな騒ぎになったのでローマ軍が登場します。ローマの司令官は「この大騒ぎは何事だ?」と群衆に聞きました。しかし群衆は叫ぶだけでどうにもなりません。その為、ローマ軍はパウロを捕まえて調べる為に連れて行こうとしました。

4.火曜日:群衆の前で(使徒21:37-22:29)
 パウロが連れて行かれようとした時、パウロは話をさせてくれるようにローマの司令官に頼みました。そしてパウロは自分がどうやってイエス様を救い主として受け入れるに至ったか、大胆に証をしたのです。そうしたら、群衆は再び怒り出しました。ローマの司令官はパウロを鞭で叩き「なぜこんなことになったのだ!」、と拷問しようとしました。しかしパウロが生まれながらのローマ人だと分かり拷問をやめました。

5.水曜日:最高法院の前で(使徒22:30-23:11)
 ローマ軍の司令官は、パウロの問題がユダヤ人の法律に関わる問題だと分かりました。そのため、ユダヤ人の法律で裁かせることにしました。パウロはユダヤで一番力のある議会「最高法院」でキリストを大胆に証しました。その晩、神様はパウロの前に現れて、「今日エルサレムで力強く証をしたように、ローマでも証をしなければならない」(使徒23:11)、と伝えました。パウロがローマで証をすることは長年の夢だったので、大いに励まされました。

6.木曜日:カイサリアへの移送(使徒23:12-30)
 ユダヤ人の最高法院はパウロを有罪にできませんでした。その為、ユダヤ教の過激派グループはパウロを自分たちの手で殺そうと計画しました。この陰謀がパウロの甥の耳に入り、パウロはローマ軍に守られて、暗殺の手から守られたのでした。

7.まとめ
 パウロが妥協したことにより、最終的にはローマ軍の囚われの身となってしまいました。そしてこの後、囚われの身ではありますが、パウロはローマで証をする為に導かれていきます。この全ての始まりはパウロの妥協という人間的な誤りから始まりました。パウロが妥協していなければ、もっと良い方法でローマに行くことになっていたかもしれません。どちらにしても、万事を益としてくださる神様は私たちの弱さをも全て用いて、最善の道へと導いてくださる愛なる神様です。
 今週はパウロの失敗を見ました。いくら小さなことだと思っても自分の判断で行動すると、とんでもないことになる危険があります。常に「神様のみこころ」を求め、「みこころ」に従うことによってこそ、最善の道へ導かれるのだと教えてくださっているのです。