第12課 安河内アキラ

2018年第3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第12課             カイサリアでの監禁            9月22日

暗唱聖句
「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」使徒言行録26:29
                                           
今週の聖句   ローマ8:3、ヨハネ1:29、黙示録5:12、ヘブライ7:1~28、ヘブライ9:11~15、レビ記16:13、ヘブライ9:20~23
                                           
今週の研究
 パウロはカイサリアに移送されると、その町に、より正確には、ローマ総督の公邸であったヘロデの官邸に(使徒23:35)、2年間監禁されました(同24:27)。その数年の間に尋問が何回かなされ、パウロは2人のローマ総督(フェリクスとフェストゥス)と王(アグリッパ2 世)の前に出廷し、そうすることで神から与えられた職務をさらに果たしたのです(同9:15)。

月曜日:使徒言行録25:1~5を読んでください。恐らく、パウロに対する告訴でフェリクスを説得することにすでに一度失敗していたので、〔ユダヤ人〕指導者たちは再び運に任せようとは思わなかったのでしょう。フェストゥスにとって最初と思われるエルサレム訪問において、彼らはお願いとして、裁判の管轄移転を要求し、パウロを彼らに返還してほしい、と頼みました。ユダヤ人の律法に従って、最高法院で彼を裁くことができるようにするためです。
 しかしその要求は、パウロを殺すという彼らの真意を隠すための偽装にすぎませんでした。フェストゥスは審理の再開にやぶさかではなかったものの、尋問をエルサレムでなく、カイサリアで行う、と答えました。それは、パウロがローマの法律によって裁かれることを意味しました。
 カイサリアに戻ると、フェストゥスはすぐに法廷を開き、パウロの敵は、彼に対する罪を言い立てました(使徒25:7)。今回、ルカは告訴内容を繰り返していませんが、私たちはパウロの答えに基づいて(同25:8)、彼らが2年前の人たちと同様であり、パウロが煽動者であるがゆえに帝国にとっても脅威になる、とさらに強調したであろうことがわかります。

水曜日:パウロの話は、三つの部分に分けることができます。第一の部分(使徒26:4~11)において、彼はファリサイ人としてのかつての信心深さを説明しました。そのことは、エルサレムの当時の人たちに広く知られていました。ファリサイ人として、彼は死者の復活を信じており、それはイスラエルの先祖の望みの実現にとって不可欠でした。それゆえ、ユダヤ人がパウロの教えに反対するというのは、矛盾していました。彼の教えの中には、基本的にユダヤ的でないものはなかったからです。しかしパウロは、彼らの気持ちがよくわかりました。なぜなら彼自身がかつて、神がイエスを復活させられたことは信じがたいと感じ、そのことを信じる者たちを迫害さえしたからです 。
 パウロは第二の部分(使徒26:12~18)において、ダマスコヘの途上でイエスに出会い、異邦人に福音の知らせを伝えよ、という召しを受けて以来、彼の物の見方がいかに変わったかを報告しています。
 最後にパウロは、彼が目撃したもの(使徒26:19~23)の衝撃は、服従して宣教活動を実行する以外に選択の余地がないほどのもので、彼が今裁かれている唯一の理由はそれなのだ、と言いました。それゆえ、彼が逮捕されたことの裏にある真の問題は、ユダヤの律法を犯したとか、神殿を汚したとかいうことではなく、むしろ、イエスの死と復活のメッセージでした。しかも、そのメッセージは聖書と完全に調和しており、異邦人信者にも平等に救いを得させるものだったのです。

木曜日:パウロの返答は、福音に対する感動的なほどの献身を明らかにしています。「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」(使徒26:29)。
 使徒はこの審理における最後の言葉で、彼の言葉を聞いている人たちのように自由にしてほしい、とは懇願しませんでした。その代わりに、腕を縛る鎖は別にして、彼のようになってほしい、と望んだのです。パウロの宣教に対する熱意は、自分自身の安全に対する心配をはるかにしのぐものでした。
                                           

 今週は、パウロが逮捕されてカイザリアで2年間軟禁されている時についての学びです。この裁きはローマ帝国にとっても、微妙な問題を含んでいました。パウロはローマ帝国から見れば民衆が訴えている罪がないことははっきりしていました。また彼はローマの市民権も持っていました。ですから丁寧に対応しなければなりませんでした。
 一方、ローマ帝国はユダヤを占領していました。占領政策の中で、領民たちの安寧も重要な仕事でした。彼らの言い分にも耳を傾けることが治安の安定にも役立ちました。キリストの十字架の際に総督ピラトが、キリストの身柄をユダヤ人に引き渡したのも同じ理由でした。もしパウロがローマの市民権を持っていなければ、あとはユダヤ人同士で結論を出せばよいと総督は考えたことでしょう。けれども、対応をまちがえると暴動にもなりかねません。そのようなわけで彼は、カイザリアで軟禁されましたが、総督は解決のために積極的な働きかけはしていませんでした。
 今週の暗唱聖句は、総督の前に立たされたパウロが「わたしのようになってほしい」と訴えた場面です。わたしは後輩たちを前にして「わたしのようにならないでほしい」と言わねばならない人間ですが、ここにパウロが言いたいのは、自分が神さまに信頼して歩いていて、苦しいことは多々あるが幸せだから、ぜひあなたもそのようになってほしいという願いを述べています。このように言えるためには、わたしも救いの喜びを体験して、同じように信じたら幸せだよ!、あなたにもそうなってほしい、この隣人も救いたいという祈りと願いから始まるのではないでしょうか。