第2課 安河内アキラ

2018年第3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第2課             ペンテコステ(五旬祭)            7月14日

暗唱聖句
 「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです」使徒言行録2:32,33
                                           
今週の聖句   使徒言行録2:1~4、ヨハネ14:16、使徒言行録2:5~13、ヨエル3:1~5(口語訳2:28~32)、使徒言行録2:22~39、詩編110:1~3
                                           
今週の研究
 イエスの昇天と天においてイエスが高められたことに続くこの“霊”の注ぎは、突然の超自然的な出来事であり、それによって使徒たちは、無学で無名のガリラヤ人から、この世を変える確信と勇気にあふれた男たちへと、変えられたのでした。
五旬祭は、しばしば教会の誕生日と呼ばれます。そのとき、キリストに従う者たちが、ユダヤ人であれ、(のちには)異邦人であれ、地上における神の新しい共同体として正式に承認されたからです。

月曜日:使徒言行録2:5~12を読んでください。五旬祭で使徒たちが語ったのは、既存の外国語でした。西暦1世紀には、800万人から1000万人のユダヤ人が世界中におり、そのうちの(多くて)6割がユダヤの国外に住んでいたと推定されています。しかし、祭りのためにエルサレムにいた多くの人は外国出身者で、当時、ユダヤ出身のユダヤ人の言語であったアラム語を話せませんでした。
 五旬祭での改宗者のほとんどが、さまざまな国から来たユダヤ人であり、彼らが自分たちの母語で福音を聞くことができたということは、疑いの余地がありません。使徒たちが、未知の恍こうこつ惚状態の言語ではなく、既存の外国語で語ったことは、「ディアレクトス」(使徒2:6、8、「故郷の言葉」)というギリシア語によって明らかです。それは国語や方言を意味します(同21:40、22:2、26:14と比較)。つまり明らかに、彼らはこういったさまざまな言語を話していました。奇跡は、無学なガリラヤ人たちが、数時間前まで知らなかった言語を今や話すことができたことでした。

木曜日:五旬祭において、人々は罪の赦しだけでなく、人間的成長、教会における奉仕、とりわけ宣教のために“霊”の満たしを得ました。恐らくこれは、あらゆる祝福の中で最大の祝福でしょう。なぜなら、教会が存在するおもな理由は、福音の良き知らせを伝えることだからです(Ⅰペト2:9)。それゆえ、この時点からのち、彼らは、教会が召された宣教を可能にする救いの確信と聖霊の力を持ったことでしょう。

金曜日:「キリストの昇天は、主に従う者たちが約束の祝福を受けることのしるしであった。彼らは、仕事にとりかかる前にこれを待たなければならなかった。キリストは天の門の中に入って行かれて、天使たちのさんびのうちに王座につかれた。この儀式が終わるとすぐ、聖霊は豊かな流れとなって弟子たちの上にくだり、キリストは永遠の昔から父と共に持っておられた栄光をお受けになった。ペンテコステの聖霊降下は、あがない主の就任式が完了したことを知らせる天からの通報であった。主は、その約束に従って、ご自分が祭司、また王として、天と地のすべての権威を引き継ぎ、神の民の上に立つ油そそがれた者となられたしるしとして、弟子たちに天から聖霊を送られたのであった」(『希望への光』1370ページ、『患難から栄光へ』上巻32、34ページ)。
                                       

 ペンテコステというと、わたしたちは聖霊の降下された日と考えています。もちろんそれでまちがいはありませんが、なぜ聖霊が降下したのか、今週の学びの特に木曜日と金曜日の引用文をお読みください。
 暗唱聖句の「神の右に上げられ」ここがとても大切です。キリストは「わたしは世に勝っている」(ヨハネ16:33参照)と宣言されました。そのキリストが十字架にかかり復活されて、すべてに勝利されて天にお帰りになり、あがない主として就任されたのです。このことによって旧約聖書に約束された救い主としての働きを始めることとなり、そのことを全世界に伝えるために聖霊が教会に与えられたのです。わたしたちは聖霊の力を受けて、全世界にキリストが救い主であり、贖い主であることをお伝えしなければならないのです。わたしたちは、贖い主の就任よりも、聖霊の降下ばかりに目が行ってしまっていないでしょうか。ここが今週の学びの一番大切なところです。
 また異言についても書かれていますが、聖霊の働き顕われとして、異言を語ることを考えている教会がありますが、あくまでもこの時に福音を伝えるために、この方法が最も効果的だったらから、聖霊は弟子たちに異言を語らせました。そしてこの異言はだれかに伝えるためのものなのです。
 聖霊の働きは、一人でも多くの人に救い主を伝えるために、その目的のために働かれるのです。聖書が普及していなかったり、字が読めなかった時代と、今日のようにみことばを手にできる時代では聖霊の働きは同じではありません。聖霊は、わたしたちがみことばを通して神さまの声を聴いて、その光に従うように導かれます。