第5課 安河内アキラ

2018年第3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第5課                パウロの回心               8月4日

暗唱聖句
 「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である」使徒言行録9:15
                                           
今週の聖句   使徒言行録26:9~11、申命記21:23、使徒言行録9:1~20、Ⅰコリント9:1、ガラテヤ1:1、使徒言行録9:20~30
                                           
今週の研究
(のちにパウロとなった)タルソスのサウロの回心は、使徒教会の歴史上、特筆すべき出来事の一つでした。しかしパウロの重要性は、彼の回心をはるかに超えています。なぜなら、かつての教会の敵で真のクリスチャンになったのは、彼だけではないからです。そうではなく、問題は、彼が福音のために何を成し遂げたのかということに関係しています。
初代教会を迫害したパウロのかつての行動は、いつも彼に深い無価値観をもたらしたことでしょう。彼はそれよりも深い感謝の気持ちを抱きつつ、彼に対する神の恵みが無駄ではなかった、と言うことはできましたが……。パウロの回心によって、キリスト教はすっかり変わりました。

日曜日:使徒言行録26:9~11を読んでください。パウロは、福音はユダヤ人にとってつまずきの石だった、とほかの箇所(Ⅰコリ1:23)で記しています。王なるメシアという伝統的なユダヤ人の予想にイエスが当てはまらなかったという事実に加えて、彼らは、十字架で死んだ人が神のメシアであるという考えを決して受け入れることができませんでした。なぜなら聖書は、木にかけられて死んだ者はだれであれ、神に呪われている、と述べているからです(申21:23)。それゆえユダヤ人にとって、メシアが十字架で死ぬというのは馬鹿げた矛盾であり、イエスに関する教会の主張が偽りであることの最も明白な証拠でした。

月曜日:使徒言行録9:3~9を読んでください。パウロと彼の同行者たちがダマスコに近づいたとき、思わぬことが起きました。昼頃、天から非常にまぶしい光が射し、声が聞こえてきたのです。それは預言的な意味での単なる幻ではなく、多少パウロだけに狙いを定めた神の顕現でした。パウロの同行者たちもその光を見ましたが、目が見えなくなったのは彼だけであり、同行者たちも声を聞きましたが、それを理解したのは彼だけだったからです。その光は、復活されたイエスの、神としての栄光、あの瞬間、パウロの前に個人的にあらわれた方の栄光でした(使徒22:14)。ほかの箇所でパウロは、イエスにお目にかかったことで、自分は主の復活の証人、また使徒の権威を持つ者として十二使徒と対等になった、と主張しています(Ⅰコリ9:1、15:8)。

火曜日:聖書は使徒言行録9:10~19で、主がタルソスのサウロを使徒パウロとしての新しい人生に備えさせるため、どのように働いていたのかを明らかにしています。幻でイエスはアナニアに、サウロのところへ行って、彼の視力を回復するために手を彼の上に置きなさい、と任務をお与えになりました。しかしアナニアは、サウロが何者であるか、またどれほど多くの兄弟姉妹が彼のゆえに苦しみ、命さえ失ってきたのかをすでに知っていました。彼はまた、サウロがなぜダマスコにいるのかという理由も十分に知っていたので、間違いなく、サウロの犠牲第1号にはなりたくない、と思っていたのです。彼がためらったのは、無理もありません。
 しかしアナニアは、サウロがイエスと個人的に出会い、それによって彼の人生がすっかり変えられたことを知りませんでした。もはや最高法院のために働いてはおらず、驚いたことに、イエスのために働くよう、イエスから召されたばかりであるということを知りませんでした。イエスから召されたということは、もはやサウロが最高法院の使徒ではなく、ユダヤ人と異邦人の双方に福音を届けるためにイエスが選ばれた道具であることを意味します。
                                           

木曜日:使徒言行録9:26~30を読んでください。エルサレムで、パウロは使徒たちに合流しようとしました。その時までに、彼はすでに3年間クリスチャンであったものの、彼の回心の知らせが信じがたいものだったので、使徒たちは、彼らの前に立ったアナニアのように、かなり懐疑的でした。彼らは、それが念入りに仕組まれた陰謀の一部ではないかと恐れたのです。使徒たちの抵抗感を取り除き、パウロを彼らに紹介したのは、キプロス島出身のレビ族、ギリシア語を話すバルナバでした(使徒4:36、37)。ひとたびパウロが本物であると気づいたなら、彼らも、神がパウロになさったことに驚いたに違いありません。
                                           

 今週は、パウロが回心をして伝道者となる使徒言行録9章を中心に学びます。パウロの回心のために直接、神さまが声をかけられた、このような経験が今後のパウロの働きの原動力になって行きました。子どものころに、同じように神さまが直接声をかけてくれないものかと思ったこともありました。
 しかしパウロの経験は特別なこともありますが、根本的なところは同じなのではないでしょうか。わたしたちはそれぞれの働きを神さまからの召しと考えています。直接声をかけていただかなかったにしても、そこへ至るまでいろいろな導きや、想定外の任命などを受けたかもしれません。そしてそれを祈りつつ受けたのはあなたなのです。そしてその召し従って進んで行く時に、多くの導きを与えられて成長して行ったのです。
 もう一つ、パウロにとって神さまがゆるしてくださったとしても、迫害者だったことは彼が一生の間、背負って行かねばならない十字架でした。同じように、わたしたちも赦された罪びととして、過去のまちがいを背負いつつ、前に進まねばならないのです。