第6課 安河内アキラ

2018年第3期「使徒言行録ー福音の勝利」

第6課                ペトロの伝道               8月11日

暗唱聖句   「そこで、ペトロは口を開きこう言った。『神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです』」使徒言行録10:34,35
                                           
今週の聖句   使徒言行録9:32~43、使徒言行録10:9~16、エフェソ2:11~19、使徒言行録11:1~26、使徒言行録12:1~18
                                           
今週の研究
 パウロがタルソスに向けて出発すると、キリスト教会の初期に関するルカの物語の中で、ペトロが再び主役になります。そこに描かれているペトロは、ユダヤと周辺地域をくまなく巡る巡回伝道のようなことをしています。
今週の研究には、(今回はヘロデ王の下での)新たな短期間の迫害の始まりと、(パウロによって実行された迫害を免れた)使徒たちに対する新たな迫害の影響も含まれています。

月曜日:その幻は、異邦人に対するペトロの抵抗感を取り除くことを明らかに意図していました。ペトロの見解は、もしコリネリウスの家に入り、彼と交わるなら、自分の身が汚れて、神殿で礼拝したり、神の前に出たりするのにふさわしくなくなってしまうというものでした。ユダヤとその周辺地域の西暦1世紀のユダヤ人は、割礼を受けていない異邦人とは交際しなかったのです。
 問題は当時の神学にありました。その神学がイスラエルの民の間から異邦人を締め出したのです。そのような見解は、真の神に関する知識をこの世に届けるという、イスラエルが民族として存在する本質的目的の曲解だったのですが……。

火曜日:使徒言行録10:44~48は、初代教会の歴史の中で決定的な瞬間を明らかにしています。福音が使徒の1人によって割礼を受けていない異邦人に伝えられたのは、これが初めてでした。ギリシア語を話す信者たちと違って、使徒やユダヤ出身のほかの信者たちは、教会に異邦人を迎え入れる準備ができていませんでした。イエスはイスラエルのメシアだったので、彼らは、福音は至る所にいるユダヤ人にだけ伝えられるべきだ、と考えました。異邦人はまずユダヤ教に改宗しなければならず、それから〔キリスト教の〕信仰の共同体に受け入れられるのだ、と。言い換えれば、異邦人がクリスチャンになるには、その前にまずユダヤ人にならねばならなかったということです。そ れこそが、これら初期のユダヤ人信者たちの間で変えられるべき考えでした。
 コルネリウスと彼の一家に与えられた異言の賜物は、そのような考えが間違いであり、神は分け隔てなさらず、救いに関して言えば、ユダヤ人も異邦人も神の前では平等であることの明らかな、目に見えるしるしとして加えられたのです。

水曜日:アンティオキアの教会が成功していたので、エルサレムの使徒たちはバルナバを派遣して、状況を把握することにしました。福音を広めるための大きな機会に気づいたバルナバは、タルソスにいたパウロを呼び寄せました。パウロこそが不可欠な助け手になると感じたからです。
 バルナバの判断は正解でした。彼とパウロがともに働いた1年の間に、大勢の人々(おもに異邦人)が福音を耳にすることができました。アンティオキアの信者は、イエス・キリストについて語る彼らの情熱のゆえに、初めて「クリスチャン」(使徒11:26)として知られるようになりました。彼らがクリスチャンと「呼ばれるようになった」という事実は、その呼称が教会外の人々によって 作られたことを示しています。たぶん、それは一種のあざけりのようなもので、信者たちは自分たちのことを「兄弟たち」(同1:16)とか、「弟子」(同6:1)とか、「聖なる者たち」(同9:13)と好んで呼びました。使徒言行録が書かれた頃までに、「クリスチャン」は一般的な呼称になっており(同26:28参照)、ルカはそれを好ましいと思っているようです。「クリスチャン」は、キリストに従う者、キリストの支持者を意味します。
                                           

今週は、ペトロの宣教とありますが、ペトロの伝道活動の中で、外国人の改宗についてを学びます。何回も書いていますが、教会が全世界の教会となるために、まず最初に越えねばならなかったのは文化の壁を越えて行く第一歩でした。今週の学びにも書かれていますが、外国人がクリスチャンになるためには、まずユダヤ教に改宗したあとに、キリスト教徒になっていました。
 今週の暗唱聖句の中で「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」と、コルネリオが信仰を受け入れいてる姿を見て、ペトロが語っていますが、これは彼の本音だと思います。頭では神さまはすべての人を救おうとされていることはわかっていましたが、実際に立派な信仰を見て、彼は考えを変えたのです。神さまは、当時の教会の指導者で、多くの信徒への影響力が強かったペトロに、このような場面に立ち会わせて、神さまが全世界の民を救おうとされていることを、すべてのクリスチャンが信じるようにされたのです。
 外国人の改宗者をどのように受け入れて行くのかについては、今後も使徒言行録の中では大きな問題となって行きます。この問題が根底にあることを認識しながら使徒言行録の学びを続けて行ってください。