第1課 安河内アキラ

2018年第4期「キリストにおける一致ー他者と調和しつつ生きる」

第1課               創造と堕落                10月6日

暗唱聖句
主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」 創世記15:5、6
                                           
今週の聖句   創世記1:26、27、Ⅰヨハネ4:7、8、16、創世記3:16~19、創世記11:1~9、創世記3:29、申命記7:6~11
                                           
今週の研究
 聖書の最初の数章は、人類が一つの家族であり続けるように神が意図されたことを明らかにしています。残念ながら、罪の悲劇のあと、この一致は引き裂かれてしまいました。罪の中から、不一致と仲違いの根が、さらなる不服従の忌まわしい結果が生じました。私たちはこの仲違いを、アダムとエバが禁断の木の実を食べた直後に神が初めて彼らに近づかれたとき(創3:11 参照)の2 人の意志疎通の中に少し感じます。それゆえ、救済計画が成し遂げるあらゆることの中でも、当初のこの一致を回復することは、極めて重要な目的の一つです。

序論:今期の聖書研究ガイドの目的は、私たちセブンスデー・アドベンチストにとってのクリスチャンの一致という主題について、聖書の教えを提供することです。いつもながらに、私たちは今、その一致という問題に直面しており、時の終わりまでその問題に直面し続けるでしょう。しかし私たちは聖書の中に、キリストにおける一致という神からの賜物の生かし方について、多くの洞察や教えを見いだすことができます。私たちに与えられたその一致を教会の中で実現し、あらわすことに関するそれらの洞察や教えが、今期の焦点です。

日曜日:創世記1章、2章の天地創造物語から流れ出ている明確なメッセージは、天地が創造された週の最後に全体的な調和が存在していたということです。すべてのものは「極めて良かった」(創1:31)という神の最後の言葉は、神がこの世界とそこに住む人間を造り終えられたとき、ただ審美的に美しかっただけでなく、悪や不和の要素がまったくなかったことを指しています。天地創造における神の当初の目的には、あらゆる生命体の調和的共存と相互依存の関係が含まれていました。それは、人類家族のために造られた美しい世界でした。すべては完璧で、創造主にふさわしい状態でした。この世界に対する神の究極的かつ当初の目的は、調和、一致、愛でした。

水曜日:あらゆる信者の父として、アブラハムは私たちに、クリスチャンの一致の中心となる基本的要素のいくつかを教えています。第一に、彼は服従を実践しました。「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(ヘブ11:8)。第二に、彼は神の約束に望みを置きました。「信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです」(同11:9、10)。第三に、彼は、神が息子を与えてくださること、そしていつの日か、彼の子孫が星のように数多くなることを信じました。このような応答に基づいて、神は信仰によって彼を義と認められたのです(ロマ4:1~3)。第四に、彼は神の救済計画を信じました。アブラハムの信仰が最も試されたのは、神が彼に、モリヤの山でイサクをささげなさい、と求められたときでした(創22:1~19、ヘブ11:17~19)。
 旧約聖書は、アブラハムのことを神の友と記しています(代下20:7、イザ41:8)。彼は、信仰によるその生き方、揺るぎない服従、神の約束に対する確信のゆえに、現代のクリスチャン生活のあるべき姿の手本です。
                                           

木曜日:神は、御自分の僕(しもべ)になるアブラハムを召すことで、この世に神をあらわす一つの民を選ばれました。この召しと選びは、神の愛と恵みからでした。イスラエルの神の召しは、堕罪によって引き起こされた荒廃と不一致のあとの全人類を回復する神の御計画の中心でした。聖なる歴史は、このような回復に対する神の働きの研究であり、この計画の主要な要素がイスラエルという契約の民でした。
 神が御自分の民を選ぶためにお用いになるのは、不思議な価値観の逆転です。人間は指導者を選ぶ際に、権力、知恵、自信などに目を向けますが、神は御自分に仕えさせるために強い人や権力者をお選びになりません。そうではなく、自分の弱さ、愚かさ、価値のなさを感じたり、認めたりしている人を選ばれます。だれも神の前で誇ることがないようにするためです(Ⅰコリ1:26~31)。

                                           

今期は一致について学びます。この問題は、わたしたちがなぜ神さまを礼拝するのか、そしてどこへ向かおうとしているのか考える時になるのではないでしょうか。わたしたちの置かれている立場はそれぞれ異なります。年齢も家族構成も異なります。その中で神さまを愛して信頼して教会へ集っています。この多様性を認めつつ、何において一致をしたらよいのでしょうか。ここをまちがえてしまうと、一致を訴えることは、まわりの方々に苦行を強いるだけになってしまう危険性があります。
 今週の学びで、木曜日の前半にあるアブラハムの召しは「神の愛と恵みからでした」この部分が心に響きました。わたしたちが救われたのは、そしてみことばを伝える役割を担わせていただいたのは、神さまがわたしを愛してくださり、そしてそのような器ではないにもかかわらず、恵みによって立ててくださったのです。ところが自分を顧みれば、自分ことばかりを考えている罪深さに気づかされます。神さまの愛と恵みによって立てられていることを自覚することによって、わたしがやらなくてはならないことがはっきりとして来るのではないでしょうか。